髙橋史朗148 – テレビ朝日「ABEMA Prime」で討論した広島市長教育勅語引用問題
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授
麗澤大学 特別教授
2月23日夜のテレビ朝日報道局クロスメディアセンター「ABEMA Prime」において、広島市の職員研修で松井一実市長が教育勅語を資料として使用した問題について、2チャンネル創設者の「ひろゆき」氏、お笑い芸人のカンニング竹山氏らと討論した。
事前にこの問題についての市長の記者会見を視聴し、市長は座右の銘である「温故知新」の一例として、先輩がつくった「良いもの」と「悪いもの」を是々非々の姿勢で受け止め、教育勅語を全面否定せずに、自分で事実を確認して、その評価について多面的に考えることの大切さを強調したもので、曇りのない眼で見れば全く問題がないと思われた。
一方、引用の撤回を求める市民団体は、現憲法下で「爾臣民」は死語で禁句、徳目にある「兄弟に友に」は、差別的で憲法違反と、教育勅語を全面否定しているが、「爾臣民」という明治時代の言葉を現代の基準で裁いたら、歴史をその時代の歴史として教えることができなくなる。
●教育勅語の民主主義的精神
市民団体は教育勅語のどこが民主主義的なのか説明せよというが、昭和天皇が昭和21年元旦の「新日本建設に関する詔書」の趣旨に関して「日本には民主主義があった」ことを記者会見で強調されたように、日本には日本独自の民主主義が深く根付いており、教育勅語には「億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セル」「咸其徳を一ニセンコトヲ庶畿フ」など、天皇と国民が一体となった日本独自の民主主義的精神が表現されている。
このような日本的民主主義の精神は、五箇条の御誓文においても、「万機公論に決すべし」「上下心を一にして」「天地の公道に基づくべし」「官武一途庶民に至るまで各其志を遂げ」「万民保全の道を立てんとす」などの文言に貫かれている。
そもそも教育勅語は井上毅によって、「宗旨上の争端」「哲学上の理論」「政事上の臭味」「漢学の口吻と洋風の気習」などは極力避けるように細心の注意を払い、「政治上の命令ではなく、君主の社会上の著作広告」、すなわち天皇の個人的なお言葉として起草されたために、法的な効力を有する詔勅には不可欠な大臣の副署がないのである。
にもかかわらず、後年の文部行政は教育勅語を「唯一絶対視」したために、実際には「政治上の命令」の如く歪められてしまったのである。狂信的な国粋主義・教条主義的立場から儀式における奉読や暗誦などが重んじられ、形骸化の一途を辿るという過ちを犯した。
●廣池千九郎と田中耕太郎の指摘
田中耕太郎は、「教育勅語の運命」(『心』昭和32年2月号)で次のように指摘している。
「自然法の法哲学によれば、命令と規範とが区別される。……教育者は教育勅語を理性的に、客観的に、従って正当に評価しなければならない。これによってはじめて教育者は、今日なお見受けられるところの教育勅語に対するファナティックな崇拝と同時にこれに対する神経質な反情と恐怖症に陥らないで済むのである」
田中は教育勅語を「神懸かり的」に取り扱うのではなく、「倫理教育の貴重な資料」として取り扱うよう説いたが、重要な指摘といえよう。
ちなみに廣池千九郎博士は『道徳科学の論文』において、「教育勅語は、日本皇室の御祖先の遺訓をはじめ世界諸聖人の教説に淵源せるものであって、まさに人類に対する純粋正統の教訓」「二尊・天祖及び歴代聖帝の最高道徳の御真髄を薀蔵(ふかくおさむる)せるもの」であるが、「ただいたずらにその字句を諳誦して形式的に御主旨を説くにすぎぬのは惜しむべきこと」であり、「現代人がこれを誤解してあらゆる事物に対し、もしくはあらゆる場合においてこれを濫用するに至ったのは、大なる誤謬である」と指摘しておられる。
昭和21年10月の文部次官通牒「勅語及び詔書等の取り扱いについて」は、教育勅語を教育の唯一の淵源とは捉えず、式日等における奉読を廃止し、神格化する取り扱いをしないことを明記したが、この終戦直後の原点に立ち返る必要がある。
しかし、扱い方を間違ったために戦争に利用されたからといって、教育勅語の内容自体が間違っていたわけではない。市長が「生きていく上での心の持ち方」として「評価してもよい部分があったという事実を知っておくことは大切だ」と述べたのは重要な指摘と言える。
かつて私は国旗・国歌の法制化をめぐって国会に参考人招致された折に、社会党の国会議員の質問に対して、国旗・国歌は軍国主義に利用されたと批判するが、ナイフは名医が使えばメスになるが、強盗が使えばドスになる。ナイフそのものは善でも悪でもない。それを利用する者次第なのではないか、と説明したが、「扱い方」と「教育勅語の内容」の問題点についても同じことが言えるのではないか。
●「一旦緩急アレハ義勇公二奉シ」は「古今東西を通ず公理」
「一旦緩急アレハ義勇公二奉シ」が問題だというが、『戦艦大和ノ最期』の著者である吉田満は「国家の存在を認める限り、その基本的要請に国民が答えることは、古今東西を通ず公理」と指摘しているが、その通りであろう。
「義勇公ニ奉」じる愛国心などがむしろ欧米では高く評価されたのである。ラフカディオ・ハーン著『知られぬ日本の面影』に教育勅語の英訳文が掲載され、末松謙澄と菊池大麓がロンドンで、金子堅太郎がニューヨークで、吉田熊次がベルリンで教育勅語を紹介し、大好評を博した。そこで文部省は『漢英仏独教育勅語訳纂』を公刊し海外の要所に配布した。
例えばイギリスでは、教育勅語は日本の急速な発展を促した指導原理として、次のように積極的に評価された。
「我々に有益なのは、日本人の永き太古の伝統」「教育勅語は寛大な威容を湛えている。教育勅語は過去の力をもとに将来へと前進していくことを求めている」「過去の最良なものの真髄を見事に保守」「われわれはそのなかに隣人に対する義務を示している点で、英国国教会の説教と結びついた聖パウロの教えのようなものを聞くようである」(平田諭治『教育勅語国際関係史の研究――官定翻訳教育勅語を中心として』風間書房)
最大の問題は戦前と戦後を単純な対立図式で短絡的に捉える点にある。戦後教育史の定説は、戦前の「教育勅語体制」から戦後の「教育基本法体制」に180度転換した、というものであるが、「事実を確認」したところ、全くそうではなかった。このことは2月23日付の私の「note」に詳述したので参照されたい。
●歴史の光と影、共通性と多様性の両側面を曇りのない眼で直視せよ
「教育基本法は教育勅語を全面的に否定した」というのは「歴史の歪曲」であり、後の解釈によって歴史的事実を捻じ曲げることは不当である。過大視と過少視の両極端を拝し、客観的にバランスの取れた配慮をする必要がある。
市長は「よく自分でなるべく事実を確認して吟味」し、「その評価について多面的に考える」必要性を強調したが、私自身はまず「教育勅語の教育を受けた方々がなぜ国会で全会一致で教育勅語を否決したのか」という根本的疑問を抱いて当事者にインタビューしたが、「問答無用!」と怒鳴られたため、アメリカ留学を決意した。そして、膨大な占領文書研究を通して「事実を確認」するに至ったのである。
GHQ民政局の「口頭命令」によって国会での教育勅語排除失効決議が強要された過程を実証的に解明し、政府の臨時教育審議会の総会で報告し「審議経過の概要」に明記された(髙橋史朗編『臨教審』『臨教審と教育基本法』至文堂、参照)。
スタジオではなぜ130年前の「古すぎる」教育勅語を今更持ち出すのかという声が支配的であったが、「不易な」縦軸の価値は「古すぎる」という現代の尺度で測ることはできない。
「不易な価値」は「古今ニ通シテ謬ラス(ズ)」という時代を超えた縦軸の「共通性」の価値であり、「流行の価値」は時代とともに変わる横軸の「多様性」の価値である。今回の問題を通して、単純な二項対立図式、先入観や偏見から脱却して、歴史の光と影、共通性と多様性の両側面を曇りのない眼で直視する必要があることをあらためて痛感した。
●ゼミ卒業生・髙橋塾生から届いた感想メッセージ
テレビ出演を終えて自宅に向かうタクシーの中でスマホのLINEを開くと、明星大学のゼミ卒業生から次々とメッセージが届いていた。連絡をしていないのにこんなに見ていたのかと驚いた。卒業生の感想は概ね次のようなものであった。
「完全に、史朗先生の流れ、『史朗の部屋』感すごくて感動しました」
「冷静な喋りの中での熱い、熱すぎるメッセージ」
「ひろゆき氏が論破せず、あんなに素直に史朗先生のお話しを聞いているので本当にびっくりしました! 視聴者側にも議論の深まり、すごく伝わってきました」
「ひろゆきや成田修造を完全に史朗先生ペースに巻き込んでいて、びっくり」
「話題が深まっていくのが画面越しに感じられた。対話の終わり方が何とも気持ち良かった」
髙橋塾の塾生からも次のような感想が寄せられた。
「髙橋先生の、対話されるお姿こそ、いつもnoteに書かれている『調和』と『共感』を体現しておられました。あの出演者たちと圧倒的に違うことは、髙橋先生が、広島市長のお話や文章を全て目を通し(理解されたうえで)議論されていたことです。対して彼らは、マスコミの報道から感覚的に思ったことを口にしていました。歴史の学び方やものの見方、感じ方、人間力の圧倒的な差を見せつけられました。どんな議論にも、ぶれない高橋先生の軸に感動しました。どんな方でも、対話すればイデオロギーが剝がれて、本質で話ができるのだなと、感じ入りました」
テレビ朝日の「朝まで生テレビ」(3回出演)、ビートたけしの「TVタックル」(2回出演)、爆笑問題の討論番組、読売テレビの深夜の討論番組(2年間司会)、NHK島田紳助の「おとうさんの時間」(対談番組)、テレビ東京の渡辺昇一氏との対談番組、仙台テレビの草柳太蔵氏との対談番組、フジテレビ、チャンネル桜の討論番組などに出演してきたが、シナリオ通りに進まない生のテレビ討論に感情的にならないで臨機応変に対応し、丁々発止で本音を熱く語りながら「和して同ぜず」の対話を笑顔で交わすことができるようになったのは年の功であろう。
(令和6年2月26日)
※髙橋史朗教授の「note」
https://note.com/takahashi_shiro1/
※髙橋史朗教授の書籍
『WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と「歴史戦」』
『日本文化と感性教育――歴史教科書問題の本質』
『家庭で教えること 学校で学ぶこと』
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