令和4年度道徳科学研究フォーラムを開催

 令和5年2月18日(土)・19日(日)道徳科学研究フォーラムを開催。2年ぶりの対面参加とオンライン配信のハイブリット開催で行い、全国から145名の方が参加しました。
 今回は「徳の継承と発展」をテーマに、4つの個人発表と3つのミニ・シンポジウムを行いました。参加者や聴講者からの質疑も多くいただき、たいへん活発なフォーラムとなりました。

 

【個人発表】

竹中 信介
「「よき祖先」になるということ:ローマン・クルツナリック『グッド・アンセスター』を手がかりに」
 

 私たち人類は、地球環境問題や資本主義の行きづまりを原因として、文明そして地球存続の危機に瀕しています。そのような状況にあって、未来世代から見て現在世代である私たち自身が、「よき祖先」になる、という課題が切実に問われています。その取り組みは、モラロジーの「自我没却」や「自己反省」の実践に通じてくるもので、極めて重要です。しかしながら、私たちは、日々の生活に忙しく、なかなか未来や子孫のことを考える余裕がありません。どうすれば、「短期思考」ではなく、「長期思考」で物事を考えることができるでしょうか。その一つのヒントになるのが、「私たちはどこから来て、どこに向かうのか?」という問いに向き合うことです。私たちは、「祖先」と「子孫」の間に存在しているわけですが、祖先からの「徳」を継承し、子孫のために、その徳をさらに発展させて、受け渡していくことが大切になります。世代をこえて受け継ぐべき徳とは何かを考え、少しずつでも実践を続けることで、希望ある未来が拓かれるのではないでしょうか。

 

矢野 篤
「父の遺志を祖述する~廣池千英著『概要』草稿にみる改訂の特徴~」
 

 廣池千英講述『道徳科学(モラロジー)及び最高道徳の概要』は、戦後のモラロジー教育の主要なテキストとして版を重ねながら長年にわたって使用されてきました。
 本研究では現在整理中の千英文書から見つかった同書の草稿を精査し、千英がどのような意図で本書を発行したのかを明らかにしました。特に「第9章 神の原理」を取り上げ、さらにその中でも、神の種類に言及した箇所にしぼり、記述の変遷をたどりました。そこからは千英が父の遺志を受け継ぎつつも、時代の状況に柔軟に対応し、表現や構成を慎重に選択していたことがわかりました。
 草稿の中には講述者を「廣池千九郎」のままにし、書名も『特質』のままになっているものもあります。また「廣池千英 講述」と書いた後、それを消して、「廣池千九郎」と書き直しているものもあります。最終的に自分の講述とし、タイトルも変更したのは、千英が完全に自我没却して父の遺志に同化し、祖述の可能性を確信したからであると考えられます。

 

足立 智孝としたか
「臨床対話とケア:意思決定支援における「時間」に関する考察」
 

 医療・介護現場における意思決定は、重篤な病気に関する治療や療養場所のことや人生の最期に関する難しい事項があるため、自分や家族だけで行うことは難しいとされています。医療や介護の専門家であるケア従事者は、そうした患者や家族のために意思決定を支援することが、倫理的にも重要な行為と認識するようになっています。しかし、ケア従事者たちは、患者や家族との話し合い(対話)に関して難しさを感じています。
 発表では、対話を進める上で、ケア従事者たちは患者との間にある時間感覚の齟齬(ずれ)を認識し、患者の時間感覚に同期することの重要性を指摘しました。患者は、現在進行形で自分を苛む痛み等が最大の関心事であるため、未来にまで目を向けられない状況にいる場合が多いと思われます。つまり、患者は「現在停留的」時間感覚にいる存在です。一方でケア従事者たちは、現在の状況を改善して、未来を考える「未来志向的」時間感覚にいる傾向にあります。その齟齬を埋める努力をすることが対話を進めるヒントになるのではないでしょうか。医療や介護に限らず、支援者が支援を行う場合に、非支援者の時間感覚に寄り添うことは、その人の尊厳を守ることになると考えます。

 

立木 教夫
「道徳の起源と進化:Dennis L. Krebs の道徳起源論」
 

 廣池千九郎が昭和3(1928)年に『道徳科学の論文』を出版し、その基礎論部分において道徳の科学的研究の可能性を示唆してから約100年の時間が経過しました。この間に科学は大いに進歩し、道徳という複雑な対象をもその射程内に捉えることができるようになってきました。
 今回は、デニス・L・クレブズが、進化心理学の分野から提示した道徳起源に関する研究成果を取り上げました。クレブズは進化過程において、どのような機能が獲得されたときに道徳が起源したと言えるのかと問い、道徳は、社会的動物に向社会的行動を促す心的メカニズムが活性化したときに生じる感情的状態に、「べき」(ought)という「原始的な道徳的義務の感覚」、つまり、「道徳感覚」(moral sense)という機能が創発した時に、起源したと捉えています。今回は、多様な道徳感覚の中から、「義務の感覚」と「正義の感覚」を取り上げ、感情的状態から道徳感覚が創発する所を同定し、脳神経科学との研究連携が進んでいることを確認しました。

【ミニ・シンポジウム】

「企業に求められる徳とは」
発表者:大塚 祐一、横田 理宇りう、コーディネーター:大野 正英

 ミニ・シンポジウム「企業における徳とは」においては、コーディネーターの大野正英研究主幹からの趣旨説明に続いて、大塚祐一客員研究員により徳倫理学の立場からの「企業倫理学の脈絡において『有徳であること』をどう語ることができるのか」という報告がありました。自らの信念と行動を一致させるよう努力するという意味でのインテグリティ(誠実さ)という概念に基づき、企業においても経営理念を通じて自社の存在意義や仕事の意味を企業内で共有していくことが重要であるとの主張がされました。
 続いて横田理宇研究員からは経営組織論の視点から、「現代経営学と道経一体論の対話」という報告がなされました。社会に何を貢献できるかを事業目標として掲げて事業を行うことで永続的な経営を目指すことの重要性が述べられました。
 その後は報告者同士の意見交換や参加者からの質疑などを通して議論を深めていきました。パーパス(事業目的)や企業の存在意義を明確に打ち出していくことで、社会からの信頼を得て持続的な経営を実現することが現代の企業に求められていると確認されました。道経一体論と現代の経営倫理学を融合していくという課題に向けて非常に有意義な内容となりました。(大野)

 

「追悼・水野治太郎~その人と業績」
発表者:竹内 啓二、水野 治久、川久保 剛

 令和4年10月4日に水野治太郎先生が逝去されました。水野先生は、1991年の『ケアの人間学』刊行以降、日本のケア理論研究の発展に大きな功績を残すとともに、生と死を考える会のリーダーとしてグリーフケアの実践活動にも広く影響を与えました。また廣池千九郎先生の開拓したモラロジーをポスト近代社会に相応しい新たな理論に組み替えるためにチャレンジを続け、ケア研究とモラロジー研究の往還が拓く知と心の世界を私たちに開き示して下さいました。
 本シンポジウムは、こうした水野先生の歩みを振り返りながら、これからの私たちの研究と実践活動のヒントを探ることを目的に開催されました。水野先生のご子息でもある心理学者で大阪教育大学教授の水野治久さんは、水野先生の内面や活動の意味についてご家族ならではの視点からお話されました。また水野先生の教え子として生と死を考える会でも長年活動を共にしてこられた麗澤大学名誉教授の竹内啓二さんは、水野先生の代表的なご著書の一つである『成熟の思想』が私たちの生き方にどのような示唆を与えてくれるか論じました。さらに水野先生の弟子でもある麗澤大学教授の川久保剛は、水野先生のモラルサイエンス研究の思想史的位置付けにかんする素描を行いました。(川久保)

 

「いま、『道徳科学の論文』をどう読むか」
発表者:小山 高正、宮下 和大、宗 中正、コーディネーター:竹中 信介

 初版の刊行から95年、私たちはいま『道徳科学の論文』をどう読み、現代の人類的課題の解決や幸福の増進に役立てればよいでしょうか。小山客員教授は、『論文』第3章と第4章を中心に、その内容と現在までの学問的変遷を概観し、廣池が、「伝統報恩」や「人心開発救済」という最高道徳を内容とする「実践科学としてのモラロジー」を、自然・社会・人文の「基礎科学」の知見に基づいて構築しようとしたことを明確にし、今後も常に科学的な検証を重ねていくことが必要であると述べました。宮下主任研究員は、『モラロジー概論』や『品性をつくる人間学』などの新テキスト刊行は「現代的展開への希望ある試み」であるが、一方でいまこそ原典である『論文』を読むときであり、「時代性」という枝葉を削ぎ落として「本質」を探究し、新たな「応用」を生み出す必要があると述べました。宗教授は『論文』は「人類による道徳の本質探求のさきがけ」であり、今後さらに世界の英知を結集した探究が必要で、モラロジーはその「媒介」となる必要があると述べました。全体討論では、本質を求めることの「難しさ」と「重要性」、「人間として成長・成熟すること」と「社会的課題の具体的解決」の関係などについて意見を交わしました。(竹中)