モラロジー・コロキアム「現代における人心開発救済」を開催

 令和5年3月15日、「現代における人心開発救済」をテーマに、モラロジー・コロキアムを開催、対面とオンラインのハイブリッド形式で全国から48名が参加しました。
今回は、道徳科学研究所(以下、道科研)の小山高正客員教授、中山理客員教授(麗澤大学大学院特別教授・前学長)が登壇し、その後、質疑応答と討論を行いました。

 


小山高正 客員教授の発表

 小山客員教授は「モラロジーにおける人心開発救済の意味」というテーマで発表し、主に①人格形成の生成原理、②開発救済する-されるの一体化、③精神性の大切さ、という3つの視点から考察しました。
 人心開発救済については、モラロジー研究の最終段階、品性を完成した後の道徳実行の原理というように完成型の原理と捉えられる傾向があり、それを伺わせる表現が『道徳科学の論文』や『モラロジー概論』の中にあることも事実ですが、人格形成の生成原理として捉え直すことを小山教授は提起しています。
 最近の社会脳研究から、社会的認知にかかわる脳部位は、自己指向的思考を担う部分とかなり重複していることがわかってきており、脳活動から見ると、自己認知と他者認知が近いところにある、そして他者への関わりと自己への関わりが同次元におかれる可能性があることが示唆されています。また、外界への適応過程である発達という観点から見ると、人間は、外部環境から見知らぬ異質なものを中に取り込み、それに対応するための体制(スキーマ)を新たに作り出し、絶えず自己を発展させる性質をもっています。外界、とくに他者への関わりは、自己を発展させる上で不可欠の過程であるように思われます。
 教育現場では、教育する側とされる側の一体化を実感することがあります。例えばボランティア論でよくいわれることですが、ボランティア精神の根底には「自分を大切にすることと、他人を大切にすることが別のことではない」ということがあります。また、「その人の問題を自分から切り離すのではなく、その人の問題は自分の問題であるという結びつきを見て取る」ともいわれています。人心開発救済においても、他者を開発救済するということは、他者によって開発救済されることと一体化して人間関係を構築し、社会活動を支えていると思われると論じました。
 最後に、人心開発救済は、他の道徳実行でもいわれることでますが、精神性が大切であって、その形式は二の次であることを自覚することが大切である。「至誠」とか「慈悲心」という言葉が、人心開発救済の根底にあることを自覚したいと述べました。

 


中山 理 客員教授の発表

 中山理客員教授は「廣池千九郎博士の人心開発救済論の現代的展開」というテーマで発表を行いました。
 中山教授は、『道徳科学の論文』第八冊、第14章第10項~11項に基づき、(1)廣池博士の人心開発論、(2)廣池博士の人心救済論、(3)モラロジーの現代的展開という3つの視点から、モラロジーの文明史的意義について論じました。
 (1)では、今日的な意味での「文化」(culture )を使用した文化人類学者エドワード・タイラー(Edward Tylor 1832~1917年)が、社会の集団文化は社会の一員としての人間が「学習」を通して獲得する能力だとした言説を受け、廣池博士の人心開発論の目的は、純粋正統の学問の「学習」を通して新しい精神文明を創造することにあると指摘しました。廣池博士もタイラーなどアングロ・サクソン系の文化人類学的定義と同様に文明と文化との関係を連続的に捉えていますが、モラロジーの具体的開発方法が知徳一体の学問に限定されているところにその特徴があります。
 (2)では、人心救済の方法が団体的集団的教育ではなく、個人的教育法であることを押さえた上で、最高道徳の原理へと導く順序は、学問・知識・経験で理性を刺激し、慈悲・至誠で感情を刺激し、道徳の実行談を加え良心に訴えて最高道徳の精神を吹き込むことだとする廣池博士の教育法が注目されます。これは西洋のアリストテレス的な3側面の道徳的発達論(認知[知的])・感情[情意的])、行動[社会的])や、D・A・コルブの「経験学習モデル」(能動的実験・具体的経験・内面的観察・抽象的概念化のサイクル)によってもその妥当性が立証できると指摘しました。
 (3)では、伊東俊太郎先生の提唱する5つの文明史的転換を踏まえた上でのモラロジーによる「人間革命」の可能性、人心開発救済論による学校の道徳教育の実質化、比較文化・文明的な視点からのモラロジーの再評価と進化、自然との根源的紐帯感の理論的構築、老年学(gerontology)としてのモラロジーの展開が挙げられました。

 

 その後、2名の発表者間での討論をはさみ、参加者からの質問に応答し、議論を深めました。最後に宮下副所長は「現代における人心開発救済」というのは非常に難しいテーマでもあり、逆にそれだけ関心の高いテーマであることを指摘し、これからの人生100年時代において、より良い文明や文化を継承するうえで、引き続き考えていかなければならない大きなテーマであると述べました。深く広範な議論が交わされ、充実したコロキアムになりました。

(文責:道科研研究員 アブドゥラシィティ アブドゥラティフ)