髙橋史朗145 – テクノロジーと幸福・道徳を結ぶ画期的な試み
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授
麗澤大学 特別教授
●ウェルビーイングの3つの側面
ウェルビーイングには、①医学的 ②快楽主義的 ③持続的ウェルビーイングの3つの側面があるが、近年はウェルビーイングを持続的かつ包括的に捉えようとする考えが主流となっている。哲学者もウェルビーイングに言及しており、アリストテレスは「善」を、①有用さ ②一時的な快楽 ③幸福の3種に分類し、最高の善が幸福であると考えた。
一時的な快楽だけではウェルビーイングを実現できず、理性によって人間の潜在能力を開花させることで実現できるとするこの考え方は、持続的ウェルビーイングの原点となっている。
心理学者では、1998年にマーティン・セリグマンがポジティブ心理学を提唱し、①ポジティブ感情 ②没頭する体験 ③良好な人間関係 ④人生の意味や意義を感じること ⑤達成感を持つこと、の5つがウェルビーイングの主な要因であるとする「PERMA理論」を提唱した。
さらに、ドクターハピネスともいわれている幸福学研究の第一人者であるイリノイ大学名誉教授のエド・ディーナーは、自分の幸福度を簡単に測定できる方法として、「人生満足度尺度」を考案した。彼はまず主観的なウェルビーイングの尺度を開発し、様々な要因と合わせて測ることで、性格や社会環境との関係が調べられると考えた。その尺度は、①人生満足度 ②ポジティブ感情 ③ネガティブ感情がないことの3要素で構成されていた。
彼が考案した「人生満足度尺度」は、次の5つの質問によって自分の幸福度を測定した。
⑴ ほとんどの面で私の人生は私の理想に近い
⑵ 私の人生はとても素晴らしい状態だ
⑶ 私は自分の人生に満足している
⑷ 私はこれまで自分の人生に求める大切なものを得てきた
⑸ もう一度人生をやり直せるとしてもほとんど何にも変えないだろう
上記の5つの質問に対して、以下の該当する項目の点数を計算する。
全く当てはまらない…1点
ほとんど当てはまらない…2点
あまり当てはまらない…3点
どちらとも言えない…4点
少し当てはまる…5点
だいたい当てはまる…6点
非常によく当てはまる…7点
合計点に対する評価は以下の通りである。
31~35点…非常に満足
26~30点…満足
21~25点…やや満足
20点…ニュートラル
15~19点…少し不満
10~14点…不満
5 ~ 9点…非常に不満
過去の調査によれば、日本人の平均は18.9点、アメリカ人の平均は24.5点と報告されている。日本人大学生の平均は20.2点、アメリカ人囚人の平均は12.7点だという。日本人の幸福度が低いのは、幸福度の尺度が違うからである。
さらに、ポジティブ心理学創始者の一人で、何かしている時に熱中するあまり忘我の感覚となる「フロー(対象に惹かれてその行為に集中し、楽しさを感じ、流れるように行動していることを感じる体験)」の概念を提唱したミハイ・チクセントミハイは、活動に本質的な価値があること、能力に対して適切な水準であることなどの条件が揃うことで生じるその体験がウェルビーイングの向上につながると考えた。
これらのウェルビーイング理論を分類すると、個人に関する「I」、「思いやりや感謝、組織や社会などで良好な人間関係が築けているか」など、他者や社会との関わりの「WE・SOCIETY」、「世界平和」などの特定の関係性を超えた全体的視野で見たときの世界との関わりの「UNIVERSE」の3つに大別される。
●テクノロジーを活用してWell-beingを実装する試み
私たちのウェルビーイングと密接な関係にあるのがテクノロジーである。人口知能(AI)やバーチャルリアリティ(VR)など、近年のテクノロジーの進化には目を見張るものがある。ソーシャルゲームへの依存による過度な課金、プライベートなコミュニケーショングループにおけるいじめといった、社会的な問題も発生している。こうした状況を考えると、テクノロジーは必ずしも人を幸せにしているとは言い切れない。
インペリアルカレッジ・ロンドンのラファエル・カルヴォ教授とUXデザイナーのドリアン・ピーターズ氏は、心理的ウェルビーイングと人間の潜在力を高めるテクノロジーを「ポジティブ・コンピューティング(Positive Computing)と名付けた。カルヴォ氏は著書『Positive Computing』(邦訳『ウェルビーイングの設計論――人がよりよく生きるための情報技術』ビー・エヌ・エヌ新社、2017)の中で、次のように指摘し、生産性や効率性のためだけでなく、個人や社会の問題にも資する、これからのテクノロジーの在り方に言及している。
情報通信技術がここまで生活に浸透した今、テクノロジーからウェルビーイングを設計する指針が求められている。既に一部の企業は、自社のサービスやプロダクトを通じて、単なる便利さを提供するのではなく、「豊かな世界」を実現するために動き出している。スマートフォンやバーチャルリアリティ、人工知能といったテクノロジーの可能性を活用して、私たちの暮らす世界にウェルビーイングを実装する試みが始まっているのである。
毎週水曜日の早朝8時から自民党本部で開催されている「日本Well-being計画推進特命委員会」の有識者ヒアリングで、こうした新たな試みが以下のように次々に発表されている。
11月22日:
⑴企業におけるWell-being経営の高まり――アイディール・リーダーズ株式会社の取組
⑵創業300年企業のウェルビーイング一食を通じて世界の人々の幸せと笑顔を一(国分グループ本社)
11月15日:
⑴ウェルビーイング経営=幸せ経営(株式会社西軽精機)
⑵アクサ生命が進める健康経営
11月8日に開催された同特命委員会では、鈴木寛教授が「日本のウェルビーイング実感に関する現況」報告を行うとともに、日本政府の令和5年の「骨太方針」に「成長と分配の好循環」の実現状況について半年ごとにWell-being(生活満足度)の「成長の指標」が検証されることが明記されたことが明らかにされた。
具体的には、OECDのBetter Life Indexをベースに、日本の実態に合うように内閣府がWell-beingダッシュボード(指標)を改定し、各府省庁が基本計画等で設定しているWell-being関連のKPI(重要業績評価指標)に基づいて、政府の経済財政諮問会議で「成長と分配の好循環」について検証するという。
●新たな「知的ネットワーク」を結ぶ「ウェルビーイング教育研究会」構想
今年の5月に国連のグテーレス事務総長は“beyond SDGs“(SDGsを超える)指標として、Well-beingを明示し、来年の国連「将来サミット」でWell-beingの指標の検討を行うことを明らかにし、今年の9月に日本でその準備会合が開催された。2015年からのSDGsは2030年に終了し、ウェルビーイングが新たな指標となり、SDGsからSWGs(Sustainable Well-being Goals for all)へとシフトし、2年後の大阪・関西万博のテーマもこのテーマで開催される。
こうしたウェルビーイングをめぐる内外の最新動向を踏まえて、モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所の共同研究として、今年度から「ウェルビーイング教育研究会」(代表は筆者)が発足し、第1回は石清水八幡宮の田中朋清権宮司、第2回はAIロボットのPepper君を開発し、音声感情認識及び情動の脳生理信号システム研究で博士号を取得し、東京大学大学院工学系研究科に設置された道徳感情数理工学講座を担当しておられる光吉俊二特任准教授、第3回は同じく同講座の開設に尽力され、ハーバード大学講師・助教授を経て、東京大学大学院工学系研究科教授として、医学と工学を融合した「医工学」と「道徳のメカニズム」について研究しておられる鄭雄一教授をお招きした。
過日鄭教授の東大の研究室を訪問した折に、幸福学の第一人者である慶應義塾大学の前野隆司教授の著書『幸せのメカニズム』(講談社現代新書)を本棚から取り出されて、この本に書かれていることは私の著書『東大理系教授が考える 道徳のメカニズム』(ベスト新書)と合致すると言われて驚いた。実は前野教授の専門は機械工学で鄭教授とも親交があり、前述した自民党の特命委員会でお会いした際に確認したところ、「その通りだ」と同意された。
京都大学大学院文学研究科哲学専修の出口康夫教授が4か月前に出版した『京大哲学講義 AI親友論』(徳間書店)も光吉俊二特任准教授や鄭雄一教授の問題意識との共通点があり、なかなか興味深い。この三人の共通点は東大と京大で「最も人気のある授業」をされていることである。
出口康夫教授は西田幾多郎が創始した「京都学派」を継承し、「京都学派がもたらしたもの」をテーマとする対談において、「京都学派が豊かな業績を生み出すことができたのは、自ら思索し互いに批判し合いながら真理を求めていく思索スタイルを共にする『知的ネットワーク』であったからだ」と述べているが、京都学派の哲学者が『AI親友論』を論じ、AIロボットの開発者や医学、工学の専門家が「道徳のメカニズム」や「道徳感情」を論じる「知的ネットワーク」を結び、ウェルビーイングと道徳の関係の解明に繋げていきたい。
「ウェルビーイング教育研究会」の第4回研究会は中山理特別教授から「廣池千九郎の人類の安心、平和、幸福とウェルビーイング」、第5回はNTTコミュニケーション科学研究所人間情報研究部の渡邊淳司上席特別研究員から「ウェルビーイングカードを活用した道徳授業の実践」、第6回は前野隆司教授から「ウェルビーイングの最新動向と今後の課題」について講演していただく予定である。
こうした方々と出口教授を交えてAI論議を含めた「ウェルビーイングと道徳の関係」に関する画期的なフォーラムを企画したいと思っている。なお、詳しくは note に毎朝連載している拙稿
【日本的ウェルビーイングの重層的多様性――「祈り」を核とする宗教とウェルビーイングのつながり】
【谷口正和「生命が宿る『私本主義』社会の到来」】
【和と能から「日本的ウェルビーイング」について考える】
【宗像大社の葦津宮司の「常若」論文――持続社会に向けた日本人の自然観】
【能から再び「日本的ウェルビーイング」について考える】
【出口康夫『AI親友論』が問う「われわれとしての自己」】
【和と能から「日本的ウェルビーイング」について考える】
【「生命の尊重」を核とした道徳教育の構築――人間の本性理解のコペルニクス的転換】
【宗教教育はいかにあるべきか――臨床教育学を道徳に活かす】
【麗澤大学特別講義「SDGsとWell-being」の概要――講義科目「SDGsと道徳」】
【ウェルビーイングとは何か――論理・大局観・直観の3つの理解の視点から】
【今なぜSWGs・Well-beingなのか?――SDGsの起源と欠点を踏まえて】
【「道徳とウェルビーイング」の関係の解明を目指して――ウェルビーイングカードを使った道徳授業】
【我が国のWell-beingの最新動向――満足度・生活の質に関する調査報告書2023】
【SDGsからSWGs(Sustainable Well-being Goals)へ――閣議決定された「日本発ウェルビーイング」(バランスと調和)】
【AI時代に必要な4つの力と子育ての在り方】
(以上、最近2週間の投稿論考より)を参照されたい。
(令和5年11月22日)
※髙橋史朗教授の「note」
https://note.com/takahashi_shiro1/
※髙橋史朗教授の書籍
『WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と「歴史戦」』
『日本文化と感性教育――歴史教科書問題の本質』
『家庭で教えること 学校で学ぶこと』
『親学のすすめ――胎児・乳幼児期の心の教育』
『続・親学のすすめ――児童・思春期の心の教育』
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