髙橋史朗144 – 仲間をつくる道徳――東大理系教授の説く道徳の基本原理と4次元の階層

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授

麗澤大学 特別教授

 

 

◆鄭教授の集中講義の要点

 道徳科学研究所で開催している「ウェルビーイング教育研究会」の第3回の講師として、11月24日に「仲間をつくる道徳」という演題で講演していただく東京大学大学院医学系研究科教授のてい 雄一ゆういち氏の著書『東大教授が挑むAIに「善悪の判断」を教える方法 ――「人を殺してはいけない」は“いつも正しい”か?』(扶桑社新書)は極めて示唆的で興味深い。

 同教授は医学と工学を融合した「医工学」が専門分野で、生体に働きかけて治療や再生を促す高機能デバイスの開発に従事し、イノベーションと道徳の関わりについても研究し、「道徳エンジン」(後述)を人工知能やロボットに搭載することを試み、『東大理系教授が考える 道徳のメカニズム』という著書(KKベストセラーズのベスト新書)もある。

 前著は6回の集中講義で構成されており、各講義の最後に書かれている「まとめ」は次の通りである。

<第1回講義 「人を殺してはいけない」という道徳は普遍的だろうか?>
●どの人間社会でも、「もっともしてはならないと思われること」=「人を殺すこと」が、現実社会では「戦争」「死刑」の形で容認されている。
●私たち人間が殺人を容認する根拠は、「社会中心の考え」と「個人中心の考え」の二つに分けることができる。

<第2回講義 これまでの道徳思想を分類してみよう>
●これまで時代順、地域別に語られたことが多かった過去の道徳思想は、粗視化することによって、「社会中心の考え」と「個人中心の考え」の二つに大きく分類できる。
●さらに粗視化すると、それぞれ「社会の神格化」と「個人の神格化」と捉えることができる
●「社会中心の考え」と「個人中心の考え」のどちらも、このままでは、多様な人間の社会を包摂することができるような道徳システムを提供することができない。

<第3回講義 そもそも「人を殺してはいけない」の「人」って誰だろう?>
●人間の道徳に共通に見られる掟は、「仲間に危害を加えてはいけない」である。これは、協力・分業を前提とする社会において、当然の最小限の掟と言える。
●道徳は、「仲間」内の狭い掟であり、生物学的人間一般には適用されない。
●人間の作る仲間には、他の動物にもある「リアルな仲間」と、人間に固有の「バーチャルな仲間」があり、後者には人間のことばの特性が深く関与している。

<第4回講義 道徳をモデル化してみよう>
●人間の道徳は、全社会に「共通の掟」と、各社会ごとに異なる「個別の掟」からなり、二重性がある。普段私たちはそれに気づいていない。
●これらを統合する道徳の基本原理は「仲間らしくせよ」であり、「共通」と「個別」の二重性を包含している。
●ロボットに搭載する道徳エンジンは、この二重性を識別できるようにする必要がある。

<第5回講義 道徳の階層を分類してみよう>
●道徳と欲は対立するものではなく、すべて欲から説明できる。
●従来の欠陥を克服した新たな欲の分類を踏まえて、1から4の「道徳次元」を提唱する。
●共感の範囲を測定することで、道徳次元が推定できる。

<第6回講義 道徳エンジンをロボットに搭載してみよう>
●道徳のアルゴリズム(特定の課題を解決したり、特定の目的を達成したりするための計算手順や処理手順一髙橋注)には、基本的構成・現実的構成・理想的構成がある。
●基本的構成と現実的構成の違いは、ことばを介するバーチャルな情報の有無であり、現実的構成と理想的構成の違いは仲間らしさの判定基準に個別の掟を入れるかどうかである。
●人間と共生するロボットに搭載すべき道徳エンジンは理想的構成である。

 

 

◆「モーセの十戒」の道徳構造

 「社会中心の考え方」というのは、「理想の社会があり、そこで決まった道徳がある」、「個人中心の考え方」とは「道徳は個人個人が決めるもの」という意味であり、歴史的に重要な道徳思想はこの二つの類型に分類され、それぞれはさらに「社会の神格化」「個人の神格化」に粗視化されるという。

 鄭教授はヘーゲル、サンデル、構造主義を「社会中心の考え方」、アドラー・フランクフルト学派、ロールズを「個人中心の考え方」と例示し、「社会中心の考え方」は「権威主義、集団主義、絶対論」などと要約でき、その特徴は「毅然としているが排他的」で、社会の多様性を担保することができない。

 一方、「個人中心の考え方」のコアは「個人の神格化」で、最大の弱点は「善悪の判断は個人個人が決める」ということ、つまり、具体的な道徳の枠組みを構築し、共有できない点にある。従って、紛争が起きた時に、その善悪を決することができず、ただそれを傍観するだけになってしまう。これは即ち、「道徳性の欠如」を意味する。

 「個人中心の考え方」は、「自由主義、個人主義、相対論」などと要約でき、その特徴は「柔軟だが決定力不足」と言える。従ってこの考えだけでは、多様な社会に適用できる道徳システムにはなり得ない。

 そこで、鄭教授は、ロボットに人間と共生するための「道徳エンジン」を搭載するには、この二つの限界を超える、新たな道徳の枠組みを考える必要があると指摘している。

 最も興味深い道徳理論は、「道徳のモデル化」と「道徳の階層」理論である。まず前者については、『旧約聖書』にある「モーセの十戒」の道徳構造を、以下のように、それぞれの社会に特有な「個別の掟」とすべての社会にある「共通の掟」に分類している。

<個別の掟>
① 主が唯一の神である
② 偶像を作ってはならない
③ 神の名を徒らに唱えてはならない
④ 安息日を守れ

<共通の掟>
① 父母を敬え
② 殺人をしてはいけない
③ 姦淫をしてはいけない
④ 盗んではいけない
⑤ 偽証してはいけない
⑥ 隣人の家をむさぼってはいけない

 この「共通の掟」と「個別の掟」が一つの道徳体系の中に混在しており、この二重性に気づくことが、道徳の構造を理解する上で極めて重要であるという。「共通の掟」は、世界中のどこにいようと、仲間の範囲が変わろうとも、「仲間に危害を加えてはいけない」という内容は変わらない。「個別の掟」の特徴は、「共通の掟」とは逆に、場所や仲間の範囲とともに内容が変化する点にある。

 同教授によれば、「共通の掟」と「個別の掟」を統合する人間の道徳の基本原理は「仲間らしくせよ」であるという。この道徳の基本原理には二重性があり、「仲間と同じように考え、行動せよ」という個別の掟と、「仲間に危害を加えてはいけない」という共通の掟とがあるが、通常はこの二つを区別せず、ごっちゃにして「仲間らしさ」を判定している。

 「社会中心の考え方」は、人間の道徳の「共通の掟」にもっぱら焦点を当てているため、実際には多様な「個別の掟」があることを無視・軽視している。その一方で、デカルト以降の「個人中心の考え方」は、人間の道徳の「個別の掟」の側面に焦点を当てているため、すべての社会にある「共通の掟」の存在を無視・軽視している。

 しかし、前述した人間の道徳の基本原理から明らかなように、共通と個別の二重構造を持っており、「社会中心の考え方」も「個人中心の考え方」も、うまく拡張できれば、全体を捉えることができる可能性を持っている。

 そこで同教授は、人間が相対したときに、その人間が持っている道徳を「共通の掟」と「個別の掟」に識別し、「仲間に危害を加えてはならない」という「共通の掟」さえ守れていれば、「個別の掟」は同じである必要がない、と認識できる機能を搭載すれば、ロボットと人間は共生することができる、と指摘する。

 

 

◆来るべき近い将来に向けて

 次に、同教授は「道徳感情の原動力は欲であり、欲の分類に従って道徳も分類できるのではないか」という仮説のもとに、マズローの欲求五段階説の問題点(図参照)を明らかにした上で、新しい欲の分類体系(図参照)を明示し、道徳の次元を4つに分類し、図のように道徳は階層構造になっている(図参照)、と問題提起している。

 このように欲の段階を用いて道徳の次元構造を整理すると、
A:道徳の次元の高さ≒仲間の範囲の広さ
B:仲間の範囲≒共通の範囲

であることが分かる。このAとBの式を合わせると、
C:道徳の次元≒仲間の範囲≒共通の範囲
となり、抽象的な道徳の次元を、より具体的な内容に落とし込むこができ、「道徳感情の原動力は欲である」と仮定することで、共通の範囲を基準にして、道徳をみごとに分類し、「心の寛容性・多様性測定器」の開発に取り組んでいる。

 東大大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻道徳感情数理工学の共同研究者が、音声から感情を分析する装置を完成させていて、簡単にスマートフォンやパーソナルコンピューターに話しかけるだけで、感情をいくつかの領域(怒り、喜び、悲しみ、平静、興奮)に分けて判定することができる。

 急速に少子高齢化が進む日本において、今や血縁・地縁という狭い仲間の範囲だけでは社会は維持できなくなってきている。移住者や移民を受け入れることは、血縁・地縁に代わる新たな社会的絆を生み出してくれる有力な手段と言える。

 近い将来、会社や公共の場所に設置され、最終的に一家に一台が当たり前になると予想されるロボットも、有力な「仲間」として受け入れる態勢を整えることを真剣に考える時期だとして、興味深い“戦略”を披露し、次のように述べている。

<ロボットに道徳次元4の道徳エンジンを搭載し、普段から家庭・会社・公共の場所でその振る舞いを見せることで、「ロボットの振り見て、我が振り直せ」よろしく、人間に「ロボットはなかなかいいことをするな」と思わせて、高い道徳次元に自然に導いていく戦略が有効ではないかと思っています。特に子どもは敏感かつ柔軟ですので、ロボットのすることをすぐ真似するでしょう。その子どもたちが「ロボットは、なかなかいいことをするな。お父さん、お母さんも何でロボットのようにできないの?」と言えば、大人たちも巻き込んでくれると思っています>

 同教授は同書の「おわりに」を次のように締めくくっている。

<右翼、左翼といった視点を超越して統合する道徳の基本原理を理解していただけたら、より包括的な視野を獲得し、多くの問題を解決する見通しを得ることができると確信している。・・・仲間の範囲が広いほど、道徳次元は高いのです。道徳次元が低い人に出会ったら、こう質問を投げかけてください(あるいは、自分自身にも問うてみてください)。「あなたの仲間についての考え方は、どうしてそんなに歪んでいるのですか?」と>

 

(令和5年10月20日)

 

※髙橋史朗教授の「note
https://note.com/takahashi_shiro1/ 

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