長谷亮介 – 日本と韓国で歴史事実究明の動きが進んでいる

長谷亮介

道徳科学研究所 歴史研究プロジェクト

歴史認識問題研究会 研究員

 

 

●日韓を不幸にする歴史の嘘

 本年8月15日に韓国の野党議員ら約50名が佐渡を訪問し、朝鮮人戦時労働者の慰霊祭を実施した。日本と韓国では現在、戦時中に日本で働いた朝鮮人は人権侵害を受けていたとして、外交問題となっている。日本の学界も朝鮮人を戦時中に無理やり日本に連行させて(強制連行)、奴隷のように働かせていた(強制労働)という言説を歴史の事実として捉えていた。

 しかし、このような説は現在では疑問視されている。2019年に韓国で発売され瞬く間にベストセラーとなった『反日種族主義』の共著者である宇衍ウヨンは、戦時中に作成された一次史料を読み込み、「強制連行」と「強制労働」を学術的に否定している。佐渡金山は朝鮮人強制連行の現場だったと主張する日本人たちでさえ、李宇衍をはじめとした『反日種族主義』の主張に反論できていない。それにもかかわらず、一部の日本人と韓国人が手を結び、日本に事実無根の汚名を着せて日韓関係を積極的に悪化させようとしている。

 

 

●「強制労働」を否定する史料を発見

 筆者は昨年、北海道博物館で朝鮮人の「強制労働」を明確に否定する史料を発見した。日曹にっそう天塩てしお炭鉱たんこうが作成した「稼働成績並賃金収支明細表」(以後、賃金表)である。この史料は1944年5月から45年6月までの14か月分の朝鮮人労働者の個別賃金表であり、収支金額や故郷への送金額、本人の貯金額などが詳細に記されている。従来の「強制労働」説では、朝鮮人は賃金を貰っても国と企業から強制的に貯金させられて手元にほとんどお金が残らなかったと言われていた。しかし、日曹天塩の賃金表によってその言説は誤りであることが判明した。

 賃金表には1944年10月に初就労した朝鮮人徴用労働者が86名記載されており、45年6月までの9か月分の収入が判明した54名の平均収入総額は、896円25銭であった。このうち、収入総額が1000円を超えた者は12名、950円以上1000円未満は6名であった。新入労働者が僅か9か月間(そのうち二か月間は現代で言う新人研修で通常よりも低い賃金であった)で大金を得ていたことが分かる。この54名の手元にはどれほどの金額が残ったのであろうか。支出総額も判明している労働者は43名まで減少するが、この者たちは収入総額から支出総額を引けば手元に残った金額(手取金)が判明することになる。計算の結果、推定残額の平均は311円1銭であった。1944年時点で玄米一升が47銭であったことを考慮すると、朝鮮人労働者の手元には大金が残っていたと言える。朝鮮人労働者の賃金上昇率も凄まじい。朝鮮人徴用労働者が九か月後に受け取った賃金(日収)は、平均で初任給より166%上昇しており、最大で249%増額した者も存在した。例として、慶尚南道河東郡の吉田面(面は日本でいう村)から来た労働者の賃金上昇率を表1に示す。

 

【表1】

 表1から分かるように、朝鮮人労働者は順調に昇給していたことが見て取れる。戦時中の日本では毎月の給与から愛国貯金という国への貯金が強制的に行われており、全ての日本人に課せられていた。日本で働いていた朝鮮人も愛国貯金が強制されていたが、日曹天塩炭鉱の賃金表を見ると、金額は月収の1~2割程度であった。さらに、月収が一定金額を下回った場合は愛国貯金が免除されていたことも判明した。具体的な免除規定の史料は見つかっておらず不明であるが、賃金表では月収80円以上の者でも免除されていたことから、愛国貯金によって手元にお金が残らなかったという従来の「強制労働」説は説得力がないことが証明された。

 企業への貯金も存在したが、こちらは労働者の任意に委ねられており、日曹天塩炭鉱の賃金表全体で見ると大部分の朝鮮人は少額しか貯金しておらず、中には一円も企業に貯金していない者が一定数存在した。また、朝鮮人労働者には家族手当や補給金も配られており、朝鮮人労働者と家族が1年間で得た金額は最低でも550円以上であることが判明した(表2)。このことから、手元にほとんどお金が残らなかったという「強制労働」説は完全に否定された。

 

【表2】

 また、「強制労働」説には他にも、朝鮮人は無休暇出勤を強制されていたという言説があったが、日曹天塩炭鉱の賃金表には朝鮮人の出勤日数も個別に記載されており、大部分の朝鮮人は休日を得ていたことも判明した。日曹天塩炭鉱では月に三日から四日間程度の公休を設けており、毎月約二七日間の出勤を課していた。しかし、大半の朝鮮人は会社側が指定した出勤日数よりも少なく、休日も出勤している者はわずかであった。休日出勤している者は賃金を多く貰うために自主的に働いていたと思われる。日曹天塩炭鉱の賃金表によって無休暇出勤強要も否定された。

 実は、日曹天塩炭鉱の賃金表は1991年の『在日韓国・朝鮮人の戦後補償』(戦後補償問題研究会編、明石書店)で既に確認されていた史料である。しかし、筆者がこれまで説明した情報は一切紹介されず、朝鮮人の賃金明細書であることしか触れていない。日曹天塩炭鉱の史料を数多く収録した『戦時下強制連行極秘資料集Ⅰ 東日本編』(長澤秀編、1996年)にも個別賃金表は一枚も紹介されていない。朝鮮人戦時労働者問題を研究している者ならば、朝鮮人個別賃金表の重要性が分からないはずがない。日曹天塩炭鉱の賃金表がこれまで研究論文で取りあげられなかったのは、朝鮮人「強制労働」の説に不都合であったからではないかと邪推してしまう。

 

 

●佐渡金山の集会に参加して思ったこと

「強制連行」や「強制労働」を今でも主張する団体は、学術的な証拠を挙げられておらず、専ら戦後の証言に依存している。

 今年の4月、筆者は佐渡市の相川町で戦時中に佐渡で働いたとされている元労働者の遺族の証言を聞く集会に参加した。自分たちの父親が如何に辛い体験をしたかが紹介されたが、内容にいくつも不可思議な点があった。代表的な例は珪肺けいはいに関する証言である。珪肺とは鉱山労働特有の肺病のことであり、鉱石を削る際に発生する粉塵を吸引することで発症する。佐渡金山も例外ではなかったが、5年以内の労働ならば発症の可能性はゼロであった。遺族たちは、父親は寝たきり状態などの日常生活に支障が出るほどであったと話しているが、そのような重病化には最短でも10年以上労働しなければ発症しないことが医学論文で発表されている。朝鮮人労働者は契約で2~3年しか働かず、長い者でも6年以内で朝鮮半島に帰っている。筆者は、医学的知識は持ち合わせていないが、少なくとも医学論文の内容と照らし合わせると不可思議な証言内容と言わざるを得ない。

 さらに、珪肺症には見られない妊婦のように腹部が膨張したという証言もあり、十分な検証が必要である。筆者と同様のことを考えたのかは定かではないが、佐渡市の集会では質疑応答の時、参加者の一人が「強制連行」も「強制労働」も佐渡では無かったと主張した。これに対する主催者側の応答は一切なく、無言で次の質問を募っていた。

 

 

●日韓で歴史事実の究明が始まった

 史料の発掘により、歴史の事実が明らかになりつつある。

 佐渡金山の世界遺産登録に関して日本の一部のメディアは金山の「負の歴史」も直視して世界遺産に登録せよと主張した。つまり、朝鮮人の「強制連行」と「強制労働」を日本政府は認めろと言っているのである。

 しかし、今や韓国の中でも「強制連行」「強制労働」は事実ではないと主張する研究者が存在する。学術的根拠に立脚して歴史を直視した日韓関係を構築しようとする動きが日本と韓国で広がりを見せている。一人でも多くの日本国民が歴史の事実に気付いてほしい。

 

(『まなびとぴあ』令和5年11月号「令和のオピニオン」㉝より)

 

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産経新聞記事 <独自>朝鮮半島出身労働者「奴隷」学説否定の1次史料発見