髙橋史朗142 – 陰陽の原理から幸福とジェンダーについて考え、ウェルビーイングの日本モデルを世界に提言せよ

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授

麗澤大学 特別教授

 

 

●今なぜウェルビーイングが必要なのか?

 経済指標の「物差し」に代わる「心の成長」、生活への評価、感性価値、心の健康などを含めて捉える新たな「物差し・概念」として「ウェルビーイング」が登場した。自分がいかに生きるかだけでなく、個人の成長を支える自分の家族や地域住民・国がどのようにすれば「良い状態」になれるのか、すなわち、個人のhappinessのみならず、個人を取り巻く「場」や「関係性」が持続的に「良い状態」になるように、子供と大人(親・教師・地域住民)を含む包括的な「ウェルビーイング」の実現が必要になったのである。

 個人を取り巻く「場」と「関係性」が持続的に「良い状態」になるためには、自然との「和」、共同体との「和」(一体感)を大切にしてきた日本人の「文化的幸福」「集団的幸福」「協調的幸福」(ウェルビーイングの日本モデル)に学ぶ必要がある。

 20世紀は日本人が手本としてきた西洋文明が、文明の基礎となる世界観の軌道修正を始めた時期であり、期せずして日本文化を支えてきた世界観(哲学・思想)に近づき始めた歴史的転換期である。自然を「利用」するという西洋文明の伝統は、人間中心に基づいているのに対して、自然を「活用」する日本文化の伝統は自然の側に価値基準を置いている。

 森林に対する自然畏敬の精神は、鎮守の森や霊山信仰に象徴されているが、森林を大切にする伝統は、森林の多様な機能を活かす役割を果たしている。森林を大切にするということは、生命の生と死の循環を助ける森の機能を活かす文化の尊重を意味する。自然を利用する「開発の暴走」が地球環境の危機をもたらしていることを考えれば、「自然を活かす」日本の思想が果たす役割は大きい。「活」の文化は東アジアの他の国々には見られない長所であると同時に。西洋文明の欠点を補って余りある優れた特質であり、21世紀をリードするウェルビーイングの日本モデルとして国際発信すべきである。詳しくは、拙著『日本文化と感性教育』(モラロジー研究所)の第一部第三章を参照されたい。

 

 

●陰陽の対立原理の相互補完作用から「ジェンダー平等」を見直せ

 個人重視と競争原理を土台とする西欧的な社会秩序に対して、陰陽補完・自他補完による秩序の形成を重視する日本文化の「異質・多様性への寛容さ」の伝統の創造的(交響的)継承による「共創」社会の構築を目指す必要がある。「共創」社会とは、多様性の「違い」を活かし合って、共に新しい秩序を創る社会のことである。

 宇宙全体を構成する陰(女性的原理)と陽(男性的原理)の二気が宇宙の根源であり、生物の発生は雄と雌、男と女という対立原理の相互補完作用によって成立し、有性生殖として5億年の生命が連続している。この両性のア・プリオリな相違自体が「男女平等」を意味しており、日本文化の基層には「ジェンダー・フリー」でも「バック・ラッシュ」でもない第三の道(男女平等の視座)がしっかりと根付いており、SDGsの目標の一つである「ジェンダー平等」について根本的に見直す必要がある。「文化的社会的性差」であるジェンダーの多様性への寛容さを尊重しつつ、陰陽という宇宙の根源的共通的「対立原理」の「相互補完作用」を活かした「共活」「共創」社会こそが「男女共同参画社会」に他ならない。

 犬飼道子は『男対女』(中公文庫)において、「いのちを胎内にはらみ、新しい人間をひとりこの世に送り出し、その人間を育て上げ、日々食べさせて生き永らえさせ、内的生命を開花させるということの、何とおそろしいまでに大きな仕事であることか」「永遠に女性的なるものの讃歌はそこにふくまれている。そしてそれは実在の讃歌でもあるものである」と述べ、同書の「あとがき」を次のように締めくくっている。

<おぎないあうふたつの異なる存在としての両性の価値――限りなく大きなすばらしい価値を……女性の社会への進出や、社会的地位の向上、差別なき賃金等を論じるにしても、ただ異性を標準として「戦いを挑む」のではなく、男性と異なる女性の特質をよりよく引き出す、もっと積極的具体的な発想法を打ち立てねばならない>

 

 

●日米の幸福観の違い――関係志向と個人達成志向

 ところで、幸せの求め方にはマズローが指摘した「基本的欲求」など共通点も多いが、文化的な幸福感には違いがあり、幸福の最適値も異なる。内田由紀子『これからの幸福――文化的幸福観のすすめ一』(新曜社)によれば、日米の幸福感の違いは別表の如くである。

 内田によれば、満足感・幸福感の規定因は歴史的に構築された様々な文化的・社会的要因によって大きく異なる。特に、社会的承認や地位・対人関係等、社会的な文脈で得られる幸福感には多くの文化的変動が存在する。北米中流階級の社会で幸福感が自己の内的望ましさの最大化によって定義されることの背景には、個々人が「神に選ばれた者」と自覚し、それを証明するために禁欲的に働くことが人生の目標であり「善」であるという価値観が存在する。

 一方、東洋文化の儒教的・道教的な人生観・宗教観においては、幸福イコール自己の望ましさの最大化としては定義されていない。この理由として、東洋では「自己の内的望ましさ」が当該の関係性の中で相対化されていることが挙げられる。第一に、何が自分にとって望ましいかは関係性の持つ状況・文脈によって異なる。第二に、自己の成功は他者の嫉妬を生み、逆に自己の失敗は他者の思いやりを誘い出すかもしれない。自己内の望ましさを最大化することは必ずしも至上の幸福とはならず、むしろ関係内要素の平衡化が重視される。実際、個人の特性が重視される欧米では個人の感情経験が主観的幸福感に影響するのに対し、東洋文化では社会的な要因(価値規範への適合)が幸福感に影響する。

 ディーナー等の研究で「集団」を重視する文化に比べて、欧米などの「個」を重視する文化では、自尊心が主観的幸福感に与える影響がより強いことが判明している。これに対し、日本の幸福観を特徴づける傾向としては「関係性の重要性」があげられる。特に人との結びつきは大切であり、親しい人から情緒的サポートを得られるかどうかが、日本では特に幸福と関連することがわかっている。また、日本においては他者と調和した関係にある時に得られる快感情(親しみなど)が幸福感とより結びついている。地域ネットワークの中にある関係性や職場内の人間関係も大きな要素である。

 

 

●幸せの意味――幸福の陰と陽

 内田らの日米比較調査によれば、幸せの意味について5つ記述してもらう課題を実施すると、アメリカでは97.4%がポジティブな記述に対して、日本ではポジティブな記述は68%で、三割近くは「幸せになると人からねたまれる」「周りに気遣いができなくなる」「幸せすぎると人は成長しなくなる」「そのうち失うのではないかと思うとかえって不安になってしまう」「長くは続かない」といったネガティブな記述が見られた。

 また、逆に不幸せ感についても同様の調査を実施したところ、アメリカ人の記述の9割が悪い側面についてのものであったのに対し、日本では「不幸せは、自己向上のきっかけになる」「不幸せには美しさがある」等、肯定的要素を約3割が見出していたのである。スプーン一杯の「ほどほどの幸せ」「人並みの幸せ」を求める陰陽の「バランス志向的幸福観」の方が持続性を担保できると考えており、物事には良い面と悪い面の両面が同時に存在するという「陰陽思想」の影響があり、「良いことと悪いことが同時に存在するのが真の人生だ」と考えている。

 時代劇の『水戸黄門』の「人生楽ありゃ、苦もあるさ」というフレーズや河合隼雄『こころの処方箋』においても「ふたつよいことさてないものよ(二つ良いこと、さてないものよ)」と書かれている。西洋ではポジティブ感情とネガティブ感情は両極性を持つのに対し、日本文化においてはそれらがバランスを保って共存している。ネガティブな感情状態がもたらす影響については文化差があり、バランス志向的社会はネガティブ耐性が強いといえる。

 

 

●ウェルビーイングの日本モデルを世界に発信・提言せよ

 2017年のOECDによる「人生の満足度」ランキングによれば、40カ国中日本は32位である。「人生の満足感尺度」は、①私は自分の人生に満足している、②私の生活環境は素晴らしいものである、③大体において、私の人生は理想に近いものである、④もう一度人生をやり直すとしても、私には変えたいと思うところはほとんどない、⑤これまで私は望んだものは手に入れてきた。

 日本では極端な回答を避ける傾向が強く、「どちらでもない」「やや当てはまる」を選択する傾向が強い。それ故に、回答の平均値の比較よりも各国の文化における幸福感の構造や、何が幸福感と結びやすいかを分析し検証する必要がある。

 幸福を支える客観的要件が整っていても幸福感が感じられるかどうかは全く別物である。時には「幸福の要件」の上昇が「幸福を感じる力」を削いでしまうこともあり、幸福を感じる心や力を育てることは容易なことではない。

 持続可能な社会を実現するためには、他の地域に暮らす人々との横のつながり・絆や影響を視野に入れる必要がある。日本においては調和とバランスを重視する「協調的幸福観』「集団的幸福観」と、自然・共同体との「和」を大切にする持続可能な社会と幸福につながる知恵が存在している。こうしたウェルビーイングの日本モデルを国際社会に積極的に発信し提言する役割が今こそ求められているのである。

 

(令和5年8月18日)

 

※髙橋史朗教授の「note」
https://note.com/takahashi_shiro1/ 

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