髙橋史朗141 – WGIPはどのように始まり、戦後どのように受け継がれたのか

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授

麗澤大学 特別教授

 

 早稲田大学の有馬哲夫教授は『日本人はなぜ自虐的になったのか――占領とWGIP』(新潮新書)において、WGIPは「陰謀史観」に過ぎないという左派論壇の代表的著作の主張を紹介しつつ、WGIPの第一次資料に基づいて実証的に完膚なきまでに反論している。

 有馬哲夫教授は、28年間にわたって米英加豪台及びスイスの公文書館で第一次史料の調査研究を積み重ね、戦後70年を経た今日の日本には、現代史、とりわけ第二次世界大戦とその周辺の時期に関して、日本人を「マインドセット(教育、プロパガンダ、先入観から作られる思考様式)」に陥らせるような「WGIP由来の制度やシステムが現存していると断言」する。

 同書は「今ここにあるWGIPマインドセット」「占領軍の政治戦・心理戦はどのように行われたのか」「WGIPの後遺症」の3部で構成されているが、最も注目されるのは第2章で、左派の代表的著作の主張をみごとに論破している。また、第4章「ボナー・フェラーズの天皇免責工作と認罪心理戦」も必読である。

 

 

●米軍の対日心理戦の起源はラスウェルの『心理戦』

 WGIPに関連する第一次史料に基づいて出版した拙著『検証 戦後教育』(廣池学園出版部)、『歴史の喪失』(総合法令出版)、『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』(致知出版社)、『「日本を解体する」戦争プロパガンダの現在一WGIPの源流を探る』(宝島社)、『WGIPと「歴史戦」』(モラロジー研究所)も参照していただきたいが、WGIP文書については、江藤・髙橋・勝岡・関野・有馬らによって第一次史料が既に日本語に訳されており、文書の存在については論議の余地はない。

 WGIPの原点がアメリカの対日心理作戦にあることも明白であるが、この対日心理作戦とWGIPの連続性をどのように捉えるかについては諸説があり、包括的研究が今後の課題である。アメリカの対日「心理戦」の起源はアメリカの有名な政治学者のハロルド・ラスウェルの『世界大戦におけるプロパガンダ・テクニック』や『心理戦』にあった。

 特に『心理戦』は、第二次世界大戦で実践された⑴ホワイト・プロパガンダ(情報源を明らかにし、自らに都合のいい事実を宣伝する)と⑵ブラック・プロパガンダ(情報源を明らかにせず、大抵は虚偽の宣伝を行う)を使い分けながら敵を「思想戦」で打ち負かし、その心を支配する「心理戦」の要点を説明したもので、陸軍、海軍、OWI(戦時情報局)、OSS(戦略諜報局)に心理戦担当部局が作られ、アメリカの研究者・専門家たちが大量に動員された。

 有馬はWGIPを単独のものとして捉えるのではなく、政治戦と心理戦との関係を重視して、「複合的に一体化したものと捉えるべき」と強調し、「そうしなければ、WGIPという1つの広報プランだけで日本人を洗脳したという馬鹿げた陰謀論にとらわれることになってしまいます」と述べているが、重要な視点といえよう。

 

 

●対日心理戦を担当した戦時情報局(OWI)と戦略諜報局(OSS)

 ⑴を担当したOWIと⑵を担当したOSSの連絡係を務めたジョン・ローリング・リース(英陸軍心理戦争局を設立した司令官)は、サセックス大学の中に、タヴィストック研究所で世界最大の洗脳施設をつくるように命じられ、心理戦の洗脳工作法を開発した。

 同研究所の最高幹部の一人で「社会心理学の父」と言われたクルト・レヴィンの「位相心理学」の手法(正常な人間心理・精神を狂気たらしめる状況の中に置く洗脳方法)を伝授する「もっとも効果的に敵の抵抗精神を弱める」精神的武装解除のための心理戦の研究の中心メンバーが、マーガレット・ミードとルース・ベネディクト、ラスウェルらであった。

 この心理戦研究が対日心理戦略の土台となり、対日占領政策の起点となった米政府のCOI(情報調整局)が立案した「日本計画」に最大の影響を与えたのが英社会人類学者のジェフリー・ゴーラ―の論文「日本人の性格構造とプロパガンダ」であった。

 ラスウェルは英タヴィストック研究所で敵国地方紙を解析するプロファイリング(同研究所の作戦用語で、長期的世界戦略遂行の立場から、個人、集団を格付けする作業)の専門家として深く関わり、ゴーラー論文に決定的影響を与えたことが英サセックス大学所蔵のゴーラー文書によって判明している。

 ラスウェルはレヴィンの心理戦研究会で、米戦時情報局(OWI)の外国人戦意分析課の責任者であった英社会人類学者のゴーラーとその後任に彼から指名されたベネディクトらと交流があった。そのことを立証するゴーラー文書、ベネディクト文書やGHQ民間情報教育局でWGIPを陣頭指揮したブラッドフォード・スミス文書には有馬教授は言及していないが、これらの文書も含めた包括的なWGIP研究が今後の課題といえよう。

 有馬氏がWGIPの源流として重視したフェラーズは、1942年7月に戦略情報局(OSS)に配属され、1943年に南西太平洋地域総司令部参謀第5部長となり、1944年6月に同陸軍に新設された心理作戦部(PWB)の部長として対日心理作戦を主導し、1945年6月、米太平洋陸軍のマッカーサー司令官の軍事秘書官に任命され、対日心理作戦のプロたちをCIE(ダイク局長)の幹部に登用し、対日心理戦略をCIE に引き継ぐ歴史的役割を果たした。

 一方、CIE企画作戦課長として「太平洋戦争史」を編纂し、WGIPを陣頭指揮したブラッドフォード・スミスは、1942年からOWIの対日心理作戦を担当し、同年3月に「日本精神」、4月に「日本――美と獣」という論文を発表し、同年6月に創設されたOWIの中部太平洋作戦本部長に任命され、90人の専門家たちを率いて、対日心理作戦を陣頭指揮し、1945年9月にCIEに配属された。

 このフェラーズとスミスに代表されるOSSとOWIの対日心理戦略の流れと、会議と研究を積み重ねて対日心理戦を共同で行う体制を作った英政治戦執行部(PWE)とOSSの関係や、1944年12月16・17日に40人を超える著名な専門家を集めてニューヨークで開催された太平洋問題調査会の「日本の性格構造」分析会議をリードしたミードやゴーラーらが果たした歴史的役割、さらに彼らに決定的影響を与えたラスウェルとの影響関係などを総合的、包括的に捉えて整理する必要がある。

 

 

●対日心理戦計画を立案したフェラーズ(マッカーサー軍事秘書)

 WGIPはOSSとOWI及び南西太平洋陸軍のPSBから生まれてものであるが、それが日本占領終結後もなぜ日本のメディアと社会に大きな影響を与えたかについて、有馬哲夫教授と武蔵大学の谷憲治教授が7月21日に開催された歴史認識問題研究会で明らかにした。

 フェラーズは1935年にフォート・レヴィンワース陸軍士官学校で「日本兵の心理」という論文を書き、1942年にカイロから帰国してOSSに所属し、8月にオーストラリアに送られ、米英豪の対日心理作戦会議後、マッカーサーの対日心理戦担当の軍事秘書になった。1943年にケネス・ダイクがOWIに入り、南西太平洋陸軍の情報教育部に所属し、フェラーズの配下になった。

 1944年6月にフェラーズは南太平洋陸軍の心理戦局長になり、国務省のグルー・ドゥーマンと「日本の降伏条件」について協議し、天皇と軍閥とを区別し、軍閥のみに戦争責任を負わせるというポツダム宣言が生まれた。同宣言はOSS、OWI、南西太平洋陸軍PSBの心理戦であり、合作であった。

 ポツダム宣言案には「立憲制のもとでの君主制も含む」責任ある政府を形成したら、占領軍は撤退するという「皇室維持条項」が入っていたが、原爆実験が成功した7月16日以後に、トルーマン大統領によって削除された。OSSスイス局長のダレスが米国務省の親日派とともに、対日ラジオ放送で働きかけて終戦が実現した。

 戦後、フェラーズが「対日心理戦」計画を立案したが、マッカーサーに「天皇免責工作」の実行を命じられ、GHQ民間情報教育局の初代局長ダイクが「心理戦」の責任者になり、ブラッドフォード・スミスが陣頭指揮をとってWGIPを実行した。

 

 

●対日心理戦略計画のターゲットは何か

 有馬哲夫『日本テレビとCIA』(新潮社)によれば、1953年1月30日にGHQ心理戦局は「対日心理戦略計画」をまとめ、基本方針を明示し、「日本において共産主義者による攻撃や破壊工作があれば、アメリカは断固たる行動をとらざるをえない」と断定した。「対日心理戦」の実行に責任を持つ部局は国務省、国防省、CIAと定められた。同計画の目標は次の3点に集約される。

⑴ アメリカ及びアメリカの同盟国との連携を強めれば日本に経済的繁栄がもたらされるが、共産主義国と連携を深めればその逆になると思わせること。
⑵ 共産主義国は日本を侵略しようとしており、それから守るにはアメリカ軍の駐留を受け入れ、アメリカ主導の集団的相互安全保障体制に加わることが必要だと気付かせること。
⑶ アメリカあるいは他の非共産主義のアジアの国々との間の集団安全保障体制は相互のものなので、日本は再軍備をして、その構成員としての義務も果たさなければならないことを日本人に認識させること。

 1951年の合衆国情報サービス報告書によれば、「対日心理戦略」のターゲットは、①労働者、②学生と若者、③知的指導者、④農民、⑤婦人組織に絞られた。①は反共産主義的労働組合「総評」、②は「全学連」、③は、メディアに関わり、国民大衆に大きな影響力を持っている大学教員とジャーナリスト、④で農民をターゲットにしているのは、労働者のみならず農民まで社会党や共産党を支持するようになったら、共産革命が実現してしまうので、農地改革を行って小作人たちに農地を与え、「持てる者」の仲間入りをさせたのである。⑤の婦人団体は占領軍から様々な支援を受け、GHQの婦人解放政策によって最も恩恵を受けた。

 この5つのターゲットに働きかける方法としては、各グループのオピニオン・リーダーとしてグループ全体に強い影響力を持つ人々をアメリカに留学させたり、派遣したり、視察旅行させたりする「人的交流」と「文化交流」を重視し、フルブライト・プログラムやロックフェラー基金などによって「指導者交流プログラム」などに力を入れた。

 また、GHQは日本各地にアメリカセンター・文化センター・日米文化センターなどを作ってアメリカ文化に触れさせることに力を入れ、1953年9月8日の合衆国情報サービス半期実績報告書によれば、毎日およそ50万人の日本人が合衆国情報サービス制作の映画を見、半年で9125万人に及ぶという。

 

 

●日本のメディアをコントロールするための目標(心理戦局文書)

 GHQの心理戦局文書(1953年8月13日付「対中国・韓国番組のためのラジオ施設の増強について」)によれば、NHKは1950年6月28日からVOAに送信機をリースして、30分の対中国番組とハングルによる対朝鮮半島番組を放送していた。また、日本メディアをコントロールするために次のような目標を掲げていたことも心理戦局文書によって明らかになっている。

⑴ アメリカと日本の国家指導者に両国の国益が似ていることを強調させ、それをメディアで広めよ。
⑵ 我々が政府や民間のチャンネルを通じて日本の産業に与えた技術的援助を大々的に報道させよ。そしてこのような援助が産業を効率化し、価格を下げ、世界における競争力を増すということを指摘せよ。
⑶ 共産主義への幻滅を書いた文学作品を日本語に翻訳させ、低価格で出版させなければならない。
⑷ アメリカ政府と国民は日本の自由で民主的な労働組合に好意的だということを示そうとするアメリカの労働界の指導者のことを大々的に報道させよ。
⑸ 日本共産党の暴力的な戦術は、結局所有財産の破壊に終わるだけでなく日本人の自制と秩序を求める習慣にも反することを指摘せよ。

 WGIPを戦時中に担当したOSSは戦後、米国のCIAに受け継がれ、OWIはUSIA(米国文化情報局)に継承され、戦後の日本人・メディア・知識人・労働組合・婦人組織などに永続的な影響を与え続けているのである。

 

(令和5年7月24日)

 

※髙橋史朗教授の「note
https://note.com/takahashi_shiro1/ 

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