髙橋史朗140 – 国連「未来サミット」に向けた「GDPを超えた」指標作りに求められる日本のリーダーシップ

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授

麗澤大学 特別教授

 

 

●G7教育大臣会合「富山・金沢宣言」で強調されたWell-being

 5月15日、永岡文科相が議長を務めたG7教育大臣会合「富山・金沢宣言」が発表され、「子供たち一人ひとりのウェルビーイングの向上につなげていくため、私たちは、幼児教育を含め全ての子供に包摂的かつ公平で質の高い教育へのアクセスを保障」「教師のウェルビーイングを支える文化の構築」「異なる文化の人々と協働できる力を持つ人材を育成」「調和と協調に基づくウェルビーイング」「子供たちのウェルビーイングを考慮した科学的根拠を踏まえたアプローチの重要性」など随所に「子供のウェルビーイング」の重要性が指摘された点が注目される。

 6月21日、自民党「日本ウェルビーイング計画推進特命委員会」に出席し、今年の政府の骨太の基本方針である「経済財政運営と改革の基本方針」におけるウェルビーイングの記載をめぐって討論した。

 同基本方針案には、「成長と分配の好循環」の実現状況を各種指標(一人当たり実質GDP、Well-being(生活満足度)など)から検証する」と明記され、「1、中長期の視点に立った持続可能な経済財政運営」の中で、次のように述べている。

<政府の各種の基本計画等におけるKPI(重要業績評価指標)へのWell-being指標の導入を加速するとともに、こどもに着目した指標の在り方について検討する。さらに、地方自治体におけるWell-being指標の活用を促進する>

 さらに、「5、経済社会の活力を支える教育・研究活動の推進」の中で、「質の高い公教育の再生等」について、次のように述べている。

<持続可能な社会づくりを見据え、多様なこどもたちの特性や少子化の急速な進展など地域の実情等を踏まえ、誰一人取り残されず、可能性を最大限に引き出す学びを通じ、個人と社会全体のWell-beingの向上を目指す(自己肯定感など獲得的要素と人と人とのつながりなど関係性に基づく協調的要素との双方や、教師等のWell-beingを含む)>

 

 

●政府の『骨太の基本方針』に対する私の見解

 この骨太の基本方針に関する意見を求められたので、私は概ね次のような見解を述べた。

<静岡県の保育園長が朝日新聞に投書した「安心して休める子育て社会を」と題するオピニオンには、「ママがいい!」という男児の忍び泣きが午睡の時間帯に乳児クラスから聞こえてくる。保育業界には「慣らし保育」という子供にとって少々気の毒な言葉がある。徐々に父母から切り離す訓練期間のことだ。保育園で働き始め、忍び泣きを聞くと、どうしても「頑張れ!」より「可哀想に」を口にしてしまう。「父母への経済支援や保育政策の増設よりも、親子が少しでも長く一緒にいられる方策を、国は考えてほしい」と書かれている。
 第一次安倍政権下の政務官会議「あったかハッピープロジェクト」は「経済の物差しから幸福の物差しを取り戻す必要がある」と提言したが、「子供に着目したウェルビーイングの指標の在り方について検討する」に当たって、この点に留意する必要がある。子供のウェルビーイングは親と教師のウェルビーイングと表裏一体の関係にあるから、親と教師のウェルビーイングの向上策も併せて検討すべきだ>

 この私の発言に対して、参議院外交・安全保障に関する調査会会長の猪口邦子議員が賛意を表明され、上野通子特命委員会委員長も「親と教師のウェルビーイングについても検討するよう各省庁に指示されたが、保育園長が読んだ『ママがいい!』(グッドブックス)は、私の後に埼玉県教育委員長を務めた松井和氏の著書であるが、以下のような本質的な問題提起をしている。

 

 

●「ママがいい!」という松井和元埼玉県教育委員長の問題提起

<「待機児童をなくす」という選挙公約や、保育政策に関するマスコミの報道に、「子供たちが可哀想」という反論ができなくなっている。しかし、保育者の善意と女性らしさに頼って誤魔化すにも限度がある。幸福論から人間社会を切り離そうとすることが、今のグローバリズム。その中心に母子分離政策がある。子供たちは「ママがいい!」と言っています。「子供たちが可哀想です」という言葉は絶対に発せられない。そうして、子育てに対する「意識」が麻痺していく。日本中に満ちる「ママがいい!」という叫びとすすり泣きが消えるまで、慣れるまで、親の目から離される仕組みが作られている。小さな子供たちの無数の「諦め」が、その陰にあって「利他」の伝承が途切れていく。
 人類未体験の不自然な連鎖が「慣らし保育」の名で行われている。がっかりし、心を痛め、去っていく保育士の後ろ姿に、誰も声をかけない。政府にはこの国の最後の砦が見えていない。絆を育てる最適な手段を、雇用労働施策の元に壊そうとしている。「当たり前のこと」を口にすべき時が来ています。子供たちは誰でもいいとは言っていない。「ママがいい!」という言葉を、これ以上聞き流していてはならない>

 

 

●経済社会「開発」の手段ではなく、内在価値「開発」を目的とする教育への転換

 次に私が問題提起したのは、「経済社会の活力を支える教育」という従来の発想から脱却する必要があるという点である。令和5年から5年間の「第4次教育振興基本計画」の二大基本方針は「持続可能な社会の創り手の育成」と「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」である。

 明治以来の学校は近代産業社会を支える工場をモデルにしてつくられ、教育は経済社会を支える手段としての「人材」育成の役割を担わされた。しかし、教育は本来、経済社会を開発するための手段ではなく、一人ひとりのオンリーワンの内在価値(発達力=自律的秩序形成機能)を啓発し、「発達を保障」することが教育の目的である。

 その意味で、経済社会と教育の関係の根本的見直しが求められているのである。「大量生産・大量消費型から循環型社会への転換」が求められており、一人ひとり人間がその一生を思う存分自己実現して生きられるように、経済社会を開発する必要があるのである。

 コロナ禍が「時間」と「関係」の大切さを再認識させてくれた。ドイツの童話作家ミヒャエル・エンデの作品『モモ』の主人公が時間貯蓄銀行の灰色の紳士から街に時間を取り戻したように、親と子が共に過ごし心を通わせる時間と空間を取り戻すことによって、経済論ではなく幸福論(ウェルビーイング)の視点から、一体何が人間に幸せをもたらすのか、という人間としての生き方の原点に立ち返る必要がある。

 メリーランド州立大学のジョージ・リッツア教授は『マグドナルド化する社会』(早稲田大学出版部)において、効率性などの制御を重んじる「マグドナルド化する社会」が子育てにまで及んでいることに警鐘を乱打している。待機児童ゼロ作戦の「エンゼルプラン」は0歳からの「慣らし保育」によって、「ママがいい!」と叫びすすり泣いている乳児の笑顔を奪う「デビルプラン」である。

 かつて超党派の親学推進議員連盟の勉強会で安倍総理をはじめとする50名を超える国会議員に対して、「待機児童なんていません。待機親がいるだけです!」と絶叫した埼玉県の保育園長の訴えが今も脳裏を離れない。

 マグドナルド化する大人にとって効率的な社会に子育てを合わせるのではなく、親を見ていると結婚したくないと思う若者が増えている原因になっている大人自身が「主体変容」し、少子化する社会そのものを根本的に変革していく必要がある。そのためには名ばかりの経済優先の「異次元の少子化対策」ではなく、親子が共に過ごせるように「安心して休める子育て社会」を実現し、子供が笑顔を取り戻し、「子育てに伴う喜びが実感されるように配慮」する少子化対策が求められている。

 

 

●「ママがいい!」という松井和元埼玉県教育委員長の問題提起

 一昨年9月に国連事務総長は「我々の共通のアジェンダ」報告書を提出し、来年9月の国連の「未来サミット」の開催を提案し、本年9月の閣僚級準備会合を日本で開催することになった。事務総長はGDP測定値を補完する「GDPを超えた(Beyond GDP)」指標作りを来年3月までに作成すべく、ハイレベル独立専門家グループの創設を提案したが、バランスと調和を重視する「日本社会に根差したウェルビーイング」指標を国際発信する日本のリーダーシップが求められている。

 京都大学大学院の内田由紀子教授の「集団的幸福」「文化的幸福」や、同大学院の廣井良典教授の「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」「経済成長から心の成長」「人間性を高める持続可能な定常化社会」「地球倫理」の視点を踏まえる必要がある。

 「地球倫理」とは、地球上の各地域に存在する思想や宗教、自然観や世界観等の多様性と共通性に目を向け、それらが成立した背景や環境等も含めて尊重する思想である。「心の成長」を目指す社会は、感性や創造性に訴えかけ、他者とのつながり、絆を大切にする社会である。GDPという経済指標では測れないGNH(国民総幸福量)やGDW(国民全体の幸せの指標)というウェルビーイングの新たな指標を導入し、一人ひとりが幸せに生きるための生き方、働き方とは何かという視点への転換が求められている。

 9月に日本で開催される閣僚級準備会合までに、こうした「日本社会に根差したウェルビーイング指標」の視点について整理し、10~20の「GDPを超えた」指標群作成について議論する専門家委員会に参加して積極的に議論をリードする必要がある。

 その際に中村桂子氏が提唱する「生命誌」の視点も是非踏まえてほしい。「生命誌」とは、「対話」で作り上げていく「知」で、生物学の最先端であるDNA研究の最新の成果を踏まえ、38億年の生命の平等な歴史を背負う生物の多様性と共通性と相互の関係を解明した。

 対話とはお互いの論理を「対決」させる「試練」によって、お互いの思考の妥当性を検証するプロセスであり、多様性に通底する世界に身を投じるための手段である。ユネスコから求められている「世界の記憶」慰安婦関係文書をめぐる共同申請国との「対話」にも同様の課題がある。

 プラトンとアリストテレスに象徴される「理性」の時代になり、自然哲学と自然誌という形で、普遍性と多様性という自然理解の基本が生命誌の出発点となった。近代になって科学が登場し、神の代わりをするようになったが、人は自然を征服し利用する対象として捉え、「自然帝国主義」によって、地球環境という「外なる自然」と人間性の解体化という「内なる自然」の破壊が深刻化した。

 生命誌から見えてきた生きものの姿をまとめ、生きものを貫いている多様性と共通性の価値観をしっかり持ち、自然・人・人工を一体化し、これを結び付ける基本である生命という原点に立ち返って、「自然の活力と人間の力を包括的に活用する社会」作りを世界に向かって発信していく必要がある。

 国連事務総長から「SDGs文化推進委員長」に任命された石清水八幡宮の田中朋清権宮司は国連改革の必要性を訴えられているが、「ハイレベル専門家グループ」の一員として、同権宮司が京大大学院で共同研究されている前述したお二人の教授の問題意識と中村桂子氏の「生命誌」の視点を踏まえた「GDPを超えた」指標群の作成に積極的な役割を果たされることを期待したい。

 

(令和5年6月23日)

 

※髙橋史朗教授の「note
https://note.com/takahashi_shiro1/ 

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