中山 理 -「ありがとう」は幸せを招く魔法の言葉

中山 理

麗澤大学特別教授・前学長

モラロジー道徳教育財団 特任教授

フィリピン、パーペチュアル・ヘルプ大学院名誉教授

 

 

●幸福だから感謝するのか
 感謝するから幸福なのか

 今から十年ほど前、私が麗澤れいたく大学の学長職にあった頃、アメリカのボストン大学とモラルの共同研究にチャレンジしたことがあります。ありがたいことに、その研究成果は英語の書籍となり、その後、『グローバル時代の幸福と社会的責任── 日本のモラル、アメリカのモラル』(麗澤大学出版会)という邦訳本ほうやくぼんとして発売されました。そのとき、両国に共通する九つの美徳を取り上げたのですが、その一つが、これからお伝えする「感謝」( gratitude グラティテュード)でした。

 アメリカの研究者たちと「感謝」について対話を重ねるうちに、私たちは次のような二つの共通理解にたどり着きました。まずは「人は実にさまざまな恩義を受けているという自覚から、感謝という謙虚な態度が生まれる」ということ、そして「現代の心理学が認めているように、私たちは感謝の気持ちを通して、より強い再起力と精神力をもって人生を楽しむことができる」ということです。

 この共同研究には思わぬ副産物がありました。それは、この研究がきっかけで、現代の科学が感謝をどのようにとらえているのか、もっと知りたくなったことです。それはまた『人生100年の時代を楽しむ技術』(育鵬社)という自著を上梓じょうしする動機にもなりました。

 実際、いろいろと調べてみると、感謝と幸福感の関係については、内外の多くの心理学者がいろいろな実験や調査を行い、その分析結果を学術論文として発表していることが分かりました。中でも注目をしたのは、人間の心理を研究し、どうすれば幸福感を味わえるかを追究するポジティブ心理学の研究成果です。

 もちろん、専門家に言われなくても、私たちは感謝と幸福感の間に何かしら関係があることは感覚的に理解しています。「ありがとう」という感謝の心があれば、「幸せだなあ」という幸福感も味わえるでしょうし、「幸せだなあ」と思うから、このような幸福が訪れたことに対し「ありがとう」と感謝もするのでしょう。

 しかしながら、それだけでは感謝と幸福の間には「相関関係」がある、つまり両者が同時に起こっている、と言っているにすぎません。というのも、幸福だから感謝するのか、感謝するから幸福なのか、どちらが原因でどちらが結果なのか、いわゆる科学的な「因果関係」を示しているわけではないからです。

 

 

●「感謝」による効果

 ところが、「感謝が原因で主観的幸福感がその結果である」という因果関係を実験によって科学的に立証した研究が発表されているのを知りました。それはアメリカのポジティブ心理学者のマーティン・セリグマン、ロバート・A・エモンズ、マイケル・E・マクロウらの研究成果です。

 例えば、ペンシルベニア大学教授のセリグマンは感謝研究への参加者をつのり、今まで世話になった恩人に対して、まだ感謝の意を伝えていない参加者のグループに感謝行動を実践してもらうという実験調査を行いました。この場合の感謝行動とは、感謝の気持ちを手紙に書き、実際に相手の前で手紙を読み上げるというものです。

 その後、幸福度がどう変化したかの調査をした結果、感謝行動を実践したグループは、そのような行動をしなかったグループと比べると「幸福度が増してよくうつ状態が軽減し、幸福感が一カ月後も続いた者までいる」という調査結果を得たのでした。

 セリグマンと同じように、幸福感を向上するための感謝介入かいにゅうの実験的調査を行ったのが、カリフォルニア大学デービス校教授のエモンズと、同大学サンディエゴ校教授のマクロウです。彼らは被験者を「感謝」群、「雑用」群、「出来事」群の三つのグループに分け、「感謝」群には、過去一週間で感謝したことを五つ、「雑用」群には面倒だったことを五つ、「出来事」群には、過去一週間に起こったことを五つ書くという作業を九週間続けてもらいました。

 その結果、人生の満足度が最も高かったのが「感謝」群で、筋肉痛やのどの痛みの症状も軽減するなど、身体的な健康状態にも感謝の効用があったと報告しています。

 

 

●「当たり前」なことは
 「当たり前」ではない

 セリグマンの実験にもありましたが、私たちは何か好意を受けたとき、「ありがとう」と言って感謝の気持ちを表せば、良好な結果がもたらされることを日常生活でもよく経験しています。

 しかし、ここで注意すべきは、私たちは直接的な好意だけでなく、冒頭で触れたように、「さまざまな恩義」を受けていながら、それを恵みだと感じていない場合が少なくないということです。私たちはそれを「当たり前」だと思っていますが、実は決して「当たり前」ではなく、ただ恩恵を受けているという事実に気づいていないだけなのです。

 例えば、健康ならばまったく気に留めないことでも、いざ病気になると当たり前のように食事をし、当たり前のように仕事をし、当たり前のように眠りにくことが、いかに恵まれているかを実感することになります。そのとき、私たちは当たり前の生活を「送っている」のではなく、そのような恵まれた生活を「送らせていただいている」ことを痛感するのです。

 では、その真実を忘れないために、どうすればよいのでしょうか。一つの方法は、道徳的想像力をたくましくして、「当たり前」のことがいかに恵まれているかを意識的に実感する時間をつくることです。

 もちろん、感謝するのはいつでもいいのですが、それを習慣化するのに最も効果的な時間帯があることも、心理学の研究で分かっています。

 それは認知心理学者で行動経済学者のダニエル・カーネマンらが主張する「ピーク・エンドの法則」(Peakピーク Endエンド Ruleルール)というものです。すなわち、人間は感情のピーク(最高または最低)とその経験が終わったときの印象によって、経験全体を判断する傾向があるという考え方です。体験の中でピーク時と終了時に〝最も良かった〟と感じる瞬間があれば、普通のときにそう感じるよりも、ずっと記憶に残りやすいという法則です。

 この法則に従えば、幸福感を高めるのに最も効果的なのは、一日の終わりに「感謝の時間」をつくることです。実は私もベッドに入って眠りに就く前に、一日を振り返り、今日も無事に終わったことに対し、いろいろな恩人に対して心から感謝することにしています。

 まずは、ビッグバン(※1)以降、拡張し、進化し続ける宇宙の本体に対し、その一員として宇宙の活動の一端いったんになう使命をいただいていること。次に国家共同体をつくり上げてくれた恩人に対し、日本人という素晴らしいアイデンティティー(※2)を与えてくださったこと。さらに家族、両親、祖父母、先祖に対し、「命のバトン」と家族のぬくもりをいただいていること。そして最後に、「生きる意味」や「人生の素晴らしさ」を教えてくださった学問的、精神的な恩人に対し、「本当にありがとうございました」と心からの感謝をささげます。そうすると不思議なことに、いつの間にか安らかな気持ちで眠りに就いているのです。

 まさに「ありがとう」は人を幸せにする魔法の言葉なのです。

 

※1 ビッグバン:宇宙の始まりといわれる大爆発
※2 アイデンティティー:自分が自分であるという自覚

 

 

【参考文献】    
Emmons, R.A. & McCllough, M.E. (2003). Counting Blessings versus Burdens: an Experimental Investigation of Gratitude and Subjective Well-being in Daily Life. Journal of Personality and Social Psychology. 84. 377-89.
Nakayama, O., Ryan, K., et al. eds. (2012). Happiness and Virtue beyond East and West: Toward a New Global Responsibility. Tuttle Publishing. (中山理他編集『グローバル時代の幸福と社会的責任—日本のモラルと社会的責任』麗澤大学出版会 2012年)
Seligman, M.E.P., Steen, T.A., Park, N. & Peterson, C. (2005). Positive Psychology    Progress: Empirical Validation of Interventions. American Psychologist. 60. 410-21.
Seligman, Martin E. P. (2011). Flourish: A Visionary New Understanding of Happiness and Well-being. New York: Free Press. (宇野カオリ訳『ポジティブ心理学の挑戦』ティスカヴァー・トゥエンティワン 2014年)
Kahneman, D. 1999. Objective happiness. In D. Kahneman, E. Diener, & N. Schwarz (Eds.). Well-being: The Foundations of Hedonic Psychology. Russell Sage Foundation. pp. 3–25.
中山理著『人生100年の時代を楽しむ技術』育鵬社 2021年

 

(『れいろう』令和5年5月号より)