ジェイソン・モーガン – 教育の場で、新しいヒューマニズムを

ジェイソン・モーガン

麗澤大学准教授

 

 この三月にモラロジー道徳教育財団から出版された拙著、『日本が好きだから言わせてもらいます』の「まえがき」はこう始まる。

 

 明確なルール、「グローバル・スタンダード」で全世界を一つに束ねるのだと唱える人たち。彼らは、各国、各組織の頂点に君臨し、極致とも言えるほどの権力を握りながら、我々人間を一つの型にはめ込み、一律な存在とし、地球を自らの意のままに操ろうと目論もくろむグローバリストたちだ。

 グローバリズムは、国家や地方の文化、既存のさまざまな社会などを否定して全世界を「一律の存在」とし、それらをグローバルエリートの手に権力を集中させ、全世界の行き先を決めるという動きと理解している。拙著でそのグローバリズムを非難しているのは、人間の多様性、凸凹でこぼこさ、要するに人間らしさを否定して、日本をはじめとする各国の伝統や家族制度などを壊し、人間らしい人生に必要な要素を奪ってディストピア(反理想郷・暗黒世界)をつくるからである。

 しかし、前述した指摘は、考えてみれば教育の場でも通用すると思う。私は現在、麗澤大学国際学部で教鞭を取っているが、今までのキャリアの中で、拙著で書いたこと(実体験として確認できた事象)を、ここでもう少し深掘りしたい。

 

 

●一人ひとりの人生を視野に入れて

 初めて授業の担当者として大学の教壇に立ったのは二〇一一年のことだ。母校である米国・テネシー大学チャタヌーガ校で、講師としてアジア史と世界史を教えていた。

 授業を行うことは、もちろん簡単ではなかったが、特に難しかったのは採点だ。学期を通して数回、みんなで読んだ一冊の歴史の本について短いレポートを書いてもらったのだが、それぞれの学生の考え方が本当に「スタンダード」(定番・画一的)で、一人ひとりの課題を評価することは極めて難しいことに気が付いた。もちろん、依怙贔屓えこひいきはしないで、公平にみんなのレポートを客観的に読んだのだが、結局のところ、レポートをじっくり読んで内容について考えたうえで、数字をつけて採点するのに、主観で決めるしかなかった。

 一人ひとりの努力、主張、準備度、才能、授業での態度などを総合的に考えて、その人に合った評価をするしかない―そう思い、フラット(平板的)に「一律の存在」として学生を見るのではなく、また私自身を「グローバリストの先生」とするのではなく、それぞれの学生を個人として認めて、その人自身とその人が作成したレポートをセットとしてとらえて採点したのだ。

 そして、「その人」と「レポート」のセットをその瞬間だけで見るのではなく、長い目で学生一人ひとりの人生を見通そうと試みた。例えば、今回厳しく採点すれば、その人はどう受け止めるのか。また、それがその人のためになるのか。それとも、ただルール遵守のみを重んじて厳しく評価するのかなど、学生一人ひとりの個性と彼らの今後の人生全体を視野に入れて考慮したのだ。そうして気付いたことは、アウトプット段階(採点)だけではなく、インプット段階(授業でのレクチャー)でも、人数と時間が許す限り、一人ひとりのニーズ(求めるところ)に合わせて教育をする必要があるということだった。私の授業では、公平性が充実していると自負しているが、決してグローバル・スタンダードを重視しているわけではないのだ。

 

 

●「一律の存在」としてではなく

 その時から歳月が流れ、アメリカでも日本でも、大学の教育が大きく変わった。例えば採点基準の明確化が進んで、大学で学んだことが就職先で活用できるかどうかが、ますます問われている。大学の教育の場でも、フラットに全ての人を一つの型に当てはめようとする時代である。

 しかしだからこそ、昔チャタヌーガ校で暗中模索する中で辿り着いた「ヒューマン」を中心にする教育メソードが、今、求められているのではないかと考えている。個々人の個性を受け入れて、人間らしさのベースで融通が効くよう、学生一人ひとりと向き合うことの大切さを改めて確認したい。私はこれを「新しいヒューマニズム」と呼んでいる。これは、ルネサンス期イタリアで、教会や神学など宗教と関わる価値観から脱し、古典文学の研究、美術、詩など人間が成すことを重視しようとする「ヒューマニズム」とは、違う。私がここで言う「新しいヒューマニズム」は、一つのスタンダードを全世界に押し付けようとするグローバリズムに対して、人間のユニークさ(個性・固有性)を尊重することを意味する。個性にあふれる「ヒューマン」が大学の授業で可視化されることを、私は「新しいヒューマニズム」と名付けて呼んでいるのだ。

 私は、このように教育の場で新しいヒューマニズムを実現できる国として、日本が優れていると考えている。再び拙著の「まえがき」を引用しよう。

 

 遠い国アメリカからやってきた私が、さまざまな日本人と十二年以上にわたり仲良くすることができたのは、それこそ、日本人のおかげだと心から思っている。

 私の経験の中で、一番人間らしさを受け止めている文明は、日本文明だと思っている。日本では、「和」という理想があり、他人と仲良くすることにおいては文明レベルで熟成された歴史や伝統、知恵が実に豊富だ。グローバリズムの時代は、全世界の人々を「一律の存在」としてフラットに捉えようとしているが、日本は逆に、凸凹でさまざまな人々がそのまま受け入れられていることを社会の理想、つまり「和」としている。

 だからこそ私は、未だ暗中模索の中だが、これからもこの日本において少しずつ「新しいヒューマニズム」に近づき、大学という教育の場でもっともっと気付きを深めていきたいと考えている。

 

(『まなびとぴあ』令和5年5月号「令和のオピニオン」㉗より)

 

【モーガン教授の新刊図書】

 

日本が好きだから言わせてもらいます
 ―― グローバリストは日米の敵

 四六判・214 頁
 定価1,650 円(税込)