髙橋史朗133 – 安岡正篤『日本精神の研究』に学ぶ

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授

麗澤大学 特別教授

 

 

●昭和ナショナリズムの先駆――東西文明融合論

 終戦の詔書の原案を作成した安岡正篤氏が27歳の時に出版した『日本精神の研究』は必読の書である。同書は大正13年に出版されたが、その一部を削って、山鹿素行、吉田松陰、高杉晋作、楠木正成、西郷南洲、宮本武蔵等の人物を加えた増補改訂版を基にして、平成17年に致知出版社から刊行されている。

 かつて埼玉県教育長であった荒井桂元郷学研修所長は、同書の「あとがき」において、同書は我が国のナショナリズムの在り方について、「三側面及びアイデンティティの各般にわたり、詳論を重ね、大正から昭和にかけて混迷するわが国に、明確な進路を提示」した「昭和ナショナリズムの先駆」「中核的存在」と評価している。

 三側面とは、①過去に遡る伝統、②現在の利益(国益)③将来、世界において果たすべき役割、使命観である。この三側面を総括するナショナルな独自性・特色についての共通認識がアイデンティティであり、ナショナリズムの核心を成す。

 荒井氏によれば、同書は明治ナショナリズムにおいて、新渡戸稲造の『武士道』、内村鑑三の『代表的日本人』、岡倉天心の『茶の本』『日本の覚醒』『東洋の理想』等の古典的名著の果たした役割をすべて包含し、「頑迷な国粋主義、浅薄な排外主義」とは無縁のものであるという。

 明治以来、我が国のナショナリズムは、その世界認識が「西洋と東洋」「欧米とアジア」の対立の構図に基づいていたため、この両者にどう対応するかが大きな課題であった、その対応の在り方は、「脱亜論」・アジア主義という二つの潮流があった。

 我が国の近代化の各分野において、前者が主流となり、後者が傍流となってきたことはよく知られている。安岡氏が提唱した「日本精神」は、我が国の主体的で迅速巧妙な外来文化の受容と変容の歴史に裏打ちされたもので、日本精神に立脚した「興亜論」・アジア主義を中心とする「東西文明融合論」であったことを、以下の述懐が物語っている。

 「亜細亜民族がまず大乗相応の地亜細亜に…人格生活を具体的に実現してゆこうとするところに始めて崇高なる意義がある」「かくて日本民族の責任は比類なく重大である」「私がこの一巻を著す所以も他では無い」

 

 

●外来文化の受容と変容

 荒井氏は、トインビーの『歴史の研究』から、ハンチントンの『文明の衝突』に至る類書はすべて、日本を一つの民族・文明によって構成される稀有の国家と位置づけ、その独自な日本文明・民族文化がどのように形成されてきたか、その過程、伝統を外来文化の受容と変容に焦点を合わせて概括すると、次の三つにまとめられるという。

 第一は、国際化と国粋化との時代を交互に繰り返しつつ、固有の民族文化を形成したことである。新しい社会形成の過渡期は、外来文化を積極的に受容する国際化の時代、社会体制の安定した時代は、国粋的傾向が強まり、既に受容した外来文化を在来の文化と融合・変容させて、我が国の文化を高め豊かにする。この両様の時代の交替を通して、外来文化と在来文化の融合・調和を進め、優れた民族文化を形成してきた。

 第二は、外来文化受容の在り方が、主体的・選択的であり、受容に変容が伴ったことである。第三は、優れた外来文化の受容と変容において、極めて迅速かつ巧妙であったことである。学びとろうとする文化や技術の最高水準に到達するのに半世紀を要しなかったことがそのことを示している。

 

 

●「三種の神器」と「日本の婦道」

 同書は「三種の神器に表徴されたる日本民族精神」と題して、次のように述べている。

<鏡と玉と剣とは、明らかに無限なる創造的理想活動の三徳一三つの根本的作用を示すに外ならない.即ち鏡は誠より発する智慧である。玉は穆たる仁愛である。…皇位継承の御しるしである三種の神器が実に善く日本民族の精神生活の綱領を表して居る。万有を包容せんとする仁と、其の無我より発して内外を照被する智と、之に伴う不断向上の勇、これぞ日本民族の三大「達徳」である。…三種の神器を太古迷信の遺習と嘲るものに対して、私はただ其の浅慮を悲しむ。然しながら三種の神器の何を意味するかを知らずして、熱田や伊勢を語る人も如何に多いことであろう>

 また、第15章「日本の婦道」において、次のように指摘している。

<日本古来の婦人に正しい生活がまるで無かった様に軽蔑し、日本の男児に婦人に対する道心が全く欠けていた様に罵ることは、我れを忘れた逆上沙汰と云う外は無い。古来婦人が如何なる道徳思想を有し、如何に振舞ったかに就いては、決して今日の様な浅浮な戯論を許さぬ深い意義もある。武士道は女を奴隷視したのではなく、却って婦人に徹底した人格的要求を試みたと観ることが出来る。…妻が家庭に住むことを夫の奴隷に甘んずるものであるなどという説は、陋しい妾宅的家庭にしか通じない僻論である。…現代の人々は婦徳ということについて改めて深い反省を要すると思う。己を忘れて人を思う細やかな情愛、そこから閃く叡智の光、ゆきとどく注意、つつましく善言に耳傾ける謙虚、愛する者の為に厭わぬ労苦、洗練されたる教養、是の如き婦徳を持つ妻よ、母よ、姉妹よ。是れは日本民族が世界より羨まれる家福であろう>

 

 

●死の覚悟は「永遠の今」を愛する心

 さらに、『日本精神の研究』で心に残った文章を紹介したい。

<真の永遠は今に在る。永遠は今の内展でなければならぬ。そういう永遠は消滅流転の現象界に在っては到底解釈されない。現象を通ずる絶対の風光を尋ね、物を貫く人格の世界に入って、始めて体認することが出来る。…死の覚悟は永遠の今を愛する心である。永遠の今を愛することは絶対的価値を体現しようとすることである。そこに虚静より発する智慧が輝かねばならぬ。士が行蔵(出処進退)を慎むのも、死処を択ぶのも、この智慧の作用である。
 楠木正成の戦死や大谷吉隆の義戦や、西郷南洲の最期などには、やはり深刻な智慧が働いて居ると思う。それは決して今頃の浅薄な悟性的知識の及ぶ所では無い。…西郷南洲の如きは最も毀誉褒貶紛々たる死に方をした人であるが…岩倉具視が明治天皇に彼の近衛都督兼陸軍大将の両職を免ずべき旨を願った時、天皇は近衛都督は身在京を要するから免ずるのが至当であるけれども、陸軍大将は其のままで差支無いとて、如何しても御聞き入れなかったことを聴いて、あの巨躯を投げて皇居を遥拝し、ただ言葉無く感涙に咽んだ多感多情の人である。彼が官軍に抗するに至ったのには、よくよくの苦衷あることは察するに難くなかろう。彼を一時の感情に身を誤った大愚の如くに評する賢者、賢者らしくしてより更に大愚が多い。…我々は一念の誠を忘れてはならぬ。そしてこの事は古来、日本民族の胸琴を始終奏でて来た爽やかな天籟であった>

 「内展」とは、内面的精神的展開の意で、大谷吉隆の義戦をいわゆる武士道的愚挙として、何が故に初志の通り民衆のために平和策を講じなかったかという批評家等は、「永遠の今を味識しないのである」と安岡氏は批判している。

 吉隆は大死一番することによって「永遠の今」を生きた。武士道に節義が重んぜられる秘儀はここに在るのである。ただ生きるだけならば、始めから「出処進退」などという問題が生ずるわけがない。

 「いかに生きるべきか」の磨錬を重ねた日本精神は「いかに死すべきか」と同じ意義になってくる。「天晴の死は絶対的価値の体現、即ち永生」に他ならないからである。安岡氏は「古池や蛙飛び込む水の音。此の句にわが一風を興せしより初めて辞世なり」と書かれた花屋日記を引用し、「いかにもよく芭蕉平生の覚悟を伝えて居る。死の覚悟は人生の夢魔を振い落すことである。そこに始めて道心の芽がぐんぐん成長する。理想が白熱の光を以て現実を照す。かくて人は物欲の桎梏を脱して、大いなる感激に生きんことを欲するのである」と述べている。

 安岡氏によれば、現代の流行思想の多くは理性の堕落や情意の頽廃と深い関係にあり、「今日、家族制度の解体と其の否認の思想の如き、各人が醜悪な利己主義的化身と成ると共に、自ら家族相互の間にも美しい情義の連鎖は無くなり、それに対して皮相な機械的考え方、即ち家族とは要するに夫婦・親子・兄弟等の功利的集合と云った様な思想が拡まって、ついに今日の悪化を招いたのである。唯物的社会主義・無政府主義思想の蔓延も、畢竟是の如き人間の道徳的頽廃と機械観との必然的結果と云わねばならない」と指摘している。

 

 

●「武」「士」の意味と御製に溢れる日本精神

 同書によれば、「武」の意味は「戈を止める」の意で、剣は決して殺生の具ではない。鏡と玉の徳を全からしめる力であり、「士」は「義理を行う者」すなわち、道徳的行為の主体者を意味する。「武士道」を日本精神の中核として危険視したWGIPを陣頭指揮したブラッドフォード・スミスの誤解がいかに的外れなものであるかを如実に示している。

 孟子は「恒産無くして恒心有るは唯だ士のみ能くす」と論じ、曾子は「士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠ければなり。仁、以て己の任となす。亦重からずや。死して後已む、亦遠からずや」と論じた。

 安岡氏によれば、日本の理想的精神は次のような天皇の御製に溢れているという。

<葦原のとほつみおやの宮柱たてそめしより国は動かず
 さだめにしそのはじめより葦原の国のさかえは神ぞもるらむ
 五十鈴川きよき流の末くみてこころを洗うあきつしま人
 うけつぎし国の柱の動きなくさかえ行く世をなおいのるかな
 とこしえに民安かれと祈るなる我が世を守れ伊勢の大神
 いにしえの文見るたびに思うかなおのがをさむる国はいかにと
 山を抜く人の力もしきしまのやまと心ぞもといなるべき
 わが心いたらぬ隈もなくもがなこの世を照らす月の如くに
 あさみどりすみわたりたる大空のひろきをおのがこころともがな
 さしのぼる朝日のごとくさわやかにもたまほしきは心なりけり
 四方の海みなはらからと思う世になど波風のたち騒ぐらん>

 ブラッドフォード・スミスが「日本精神」の3本柱の一つとして危険視した「皇道」すなわち、歴代天皇の大御心がこれらの御製に示されているが、安岡氏は「他の何人も作り得ぬ天衣無縫の作」であり、「小ざかしい人間的技巧の跡を全く絶った天然自然の大作」と評している。

 

 

●自由の意義と本質

 ところで、本連載131で「自由化」論について論じたが、安岡氏は「自由とは、自己の行為が自己の人格に其の原因を有し、何等他に律せらるることなき状態を謂う」と定義し、真の自由には二つの側面があり、解放によって達せられる客観的物格的側面と排脱を待って成る主観的人格的側面があると指摘し、前者の偏重と後者の閑却とを、現代人の通弊として批判している。

 自由とは、自己以外の何物にも束縛されぬことであり、あらゆる政治的経済的圧迫や在来の宗教道徳の因習的束縛から解放されることであり、「随処に主となる」ことが自由の本質である。

 東洋思想によれば、儒教の自反直往の戦闘的精神、老荘の抱一無理の虚無的精神、他力念仏の偏に弥陀の御催しにあずかりて念仏申す心、悉く皆止み難き人間最深最奥の霊性の発言こそ「真正の自由」であり、安岡氏は東洋思想の根底は「自律の大勇猛心」にあるとして、北米のある町で脱走した黒人奴隷が捕えられて判事と交わした以下の会話を紹介している。

<判事「お前は労働が辛くて、それで脱走したのか」
 奴隷「いいえそんなことはありません」
 判事「主人の仕打ちが気に入らなくて逃げたのではないか」
 奴隷「いいえ、如何致しまして。決して左様なことはありません」
 判事「お前は現在の衣食住に不満なのか」
 奴隷「いいえ。寧ろ結構過ぎて居ります」
 判事「そんなら一体なぜ逃げたんだ?」
 奴隷「閣下、ご希望ならば、私の後はたしか未だ明いて居りましょう」>

 判事は思わず大きく首を動かしたが、自由とは衣食住の豊富や、人の親切がその要素ではない。「制度の改善ばかりで人間は治まるものではない。判事の大きく首肯したのは実に厳粛なフモールである」と安岡氏は解説している。「フモール」とは、18世紀末から19世紀初頭にかけて起こったドイツ・ロマン派の芸術理論の基本概念の一つで、滑稽と真面目、喜劇的なものと崇高、笑うべきものとそれへの哀惜の感傷とが入り混じったパロディーである。

 

(令和5年4月5日)

 

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