令和7年度オンライン道徳科学研究フォーラム② を開催
『道徳科学の論文』を現代的視点からとらえる(3)
人類の道徳的進化と社会
令和7年11月29日、令和7年度のオンライン道徳科学研究フォーラム②を開催しました。今回のフォーラムは、「『道徳科学の論文』(以下『論文』)を現代的視点からとらえる」の第3弾で、3名の発表は、それぞれ『論文』の第8章、第9章上、第9章下の内容に関するものです。全国からオンデマンドを含めて約40名が参加しました。
道徳科学研究所の宗中正副所長は開会挨拶において、令和5年度から取り組んできたこれまでの2回のフォーラムを振り返り、廣池千九郎が道徳を「宇宙の現象の一つとしての人間」という視点から説き起こしたこと、遺伝などによる生物学的進化、高度な精神を獲得した人間の精神作用が道徳に与えた影響、その延長線上にある人類社会と道徳との関係、などを取り上げてきたことを踏まえ、今回はその社会における人間のあり方がどのように人間の進化や退化、言い換えれば人間の運命に影響するか(8章)、社会制度と道徳の調和をどう図るか(9章上)、廣池が行った社会問題解決の取り組みから何を学ぶか(9章下)、について参加者の皆さんとともに学びたい、と述べました。

各発表のテーマと内容は以下の通りです。
宮下和大《道科研副所長・教授、麗澤大学教授》「廣池千九郎の運命観を考える―『道徳科学の論文』第8章が問うているもの」
この発表では、『道徳科学の論文』第八章は第十四章以下の「最高道徳論」とどのような関係にあるか、つまり、第8章を通じて廣池千九郎が意図したことは何かという問いを投げかけた上で、それが廣池千九郎の運命観にあることを第八章の文章を振り返りながら確認していきました。
この第八章を概観すると、大きく三つの領域に分割でき、第一は進化論的考察(第一項から第三項上)、第二は社会学的考察(第三項下から第九項)、第三は歴史的考察(第十項から第十二項)となります。本発表で注目したのは第二の社会学的考察のところで繰り返し表明されている「人間社会には人間の力だけでは防ぎ得ないことがある」という観点であり、ここから廣池千九郎の運命観及びその運命の改善をはかるための最高道徳という位置づけが見えてきます。 第十四章以下の最高道徳論を振り返ってみても、人間の運命に触れる箇所では第八章を参照するように繰り返し注が入れられていることがわかります。第十四章第七項第三節では「自己の運命を自覚して、その全責任を負い、且つ進んで感謝的生活の間にその運命を改善しようとして努力する」ことが「最高道徳の実行に入り得る基礎的条件」であると述べ(七冊目174頁)、第十四章第三十二項においては「自己の運命を回想」(八冊目426頁)することを踏まえて自己反省や神への懺悔(誓い)が語られており、この「運命の自覚」「運命の回想」のために第八章が極めて重要な位置づけを担っていることがわかります。

竹中信介《道科研研究員、麗澤大学非常勤講師》「閉塞する現代社会をどう切り拓くか?―制度と道徳の調和へ」
現代社会は格差や分断など、制度の改革だけでは解決できない問題を多く抱えています。制度や政策、法律を変えても、道徳心がなければ不信や対立はなくならず、社会は安定しません。民主主義も社会主義も、利己的な思いや対立の構図に飲み込まれると、本来の機能を失い、争いや混乱を招いてしまいます。平和や幸福の基盤は制度そのものではなく、人間の内側にある道徳にあります。
人間社会を支えてきた根本の力は、争いではなく協力と助け合いです。クロポトキンの「相互扶助論」は、人間が本質的に協力的であり、社会は相互の助け合いによって発展してきたことを示しています。その点でマルクスの「階級闘争論」と好対照をなしています。
廣池千九郎は、制度や政策そのものを否定したわけではありません。制度を運用する側に道徳がなければ形骸化し、逆に道徳だけで制度がなければ持続的な仕組みにならないと考えることができます。制度と道徳は、どちらも揃ってこそ社会を安定させる力になるのです。 こうした考えから、現代の閉塞状況を打破するためには、制度改革を求めるだけでなく、一人ひとりがケアや助け合い、道徳を実践することが欠かせません。弱い立場の人を見捨てずに支え合う姿勢が、社会全体の幸福につながります。私たち一人ひとりの行動が、次世代により良い社会を受け渡すための大切な一歩になります。

梅田 徹《道科研客員教授、麗澤大学教授》「廣池千九郎の社会問題解決の姿勢から何を学ぶか?―『道徳科学の論文』第9章下を中心に」
発表者は、まず、第9章下(「労働問題・小作争議・国家的公共事業・社会事業もしくは慈善事業に対する貴族・富豪・資本家ならびに地主の方針及び方法の誤謬」)の要約を示しました。廣池千九郎は、労働問題や小作争議の問題を放置していると階級闘争が進みやがて社会主義革命が起こりかねないと危惧し、それらの道徳的解決の必要性を訴えました。モラロジーが社会問題の解決に寄与し得ると考えたのです。
次に、物質的救済だけでなく併せて精神的救済を行う必要があるという廣池の指摘に注目しました。それは国連が推進する「人間開発」概念に繋がります。被援助国の人々にノウハウを提供し自立心を培う日本型の国際援助が高く評価されている理由でもあります。廣池はまた、精神が重要であると考えていました。ただし、モラロジーの理論体系では行為と精神の両方が強調され、「道徳は実行が命」が前面に押し出されています。 発表者は自身が進めている、「精神」を中心に据えた取り組みを二つ紹介しました。いずれも精神重視の廣池の発想に沿ったものです。一つは「生き方」中心的な最高道徳論の展開、いま一つは「新しいモラルサイエンス」の構想です。「生き方」を中心に考える場合「道徳は精神が命」という結論になりますが、それはモラロジーの科学性を薄める効果を持ちます。モラロジーは「道徳哲学」として提示するほうがよいのかもしれないというのが今回の発表の一つの結論です。

3名の発表後、質疑・懇談では、「自分の運命を自覚し受容しその改善を図ること」といわゆる「自己責任論」との関係や違い、廣池が唱えた「人心開発」とアマルティア・センなどが唱えた「人間開発」との関係、「科学としてのモラロジー」と「哲学としてのモラロジー」、『論文』に提示された「相互扶助の原理」における「助け合い」と近年注目されている「ケア」や「弱い責任」との関係、相互扶助の関係に由来する「規範的」側面と「恩恵の自覚と感謝に由来する自発的な恩返し」という側面、などの視点から、発表者間で、また参加者からの質問に答えて意見が交わされました。
討論を終えるにあたり、発表者からは、「自立と依存の関係は単純に分けられるものではなく、複雑に関係しあっていることが相互扶助のネットワークを考える上で重要ではないか」(宮下氏)、「モラロジーについてのさまざまな捉え方や考え方を出し合って議論していく必要がある。また、廣池千九郎が述べていたことが、団体の中でこの100年の間に捉え方や提示内容が変わってきた部分があると思う。どこが変わってきたのかを確認し合意を得る必要があるのではないか。」(梅田氏)、「半年の打ち合わせや準備を経て、担当した9章上の内容について理解を深めることができた。あらためて8章で扱われている進化という視点と9章上で言及されている生存競争や相互扶助に関する議論とのつながりを確認することができたのが発見だった。」(竹中氏)と述べました。
最後に竹中コーディネータが、「今回は8章、9章を取り上げたが、この3年間のフォーラムを通じて、基礎論と最高道徳論とのつながりを考え、認識を深めることができている。私自身にとっても勉強になり、ありがたい機会だった。参加いただき感謝しています」と締めくくりました。 今回のフォーラムの内容は、後日ブックレットとして発行される予定です。

(文責:オンラインフォーラム委員会・宗 中正)