令和6年度オンライン道徳科学研究フォーラム①
『道徳科学の論文』を現代的視点からとらえる(2)本能・知識・道徳の進化 を開催

 令和6年9月29日、令和6年度のオンライン道徳科学研究フォーラム①を開催しました。今回のフォーラムは、昨年度開催した「『道徳科学の論文』を現代的視点からとらえる」の第一弾、「人間・生命・精神の進化」(範囲は『論文』第3章・第4章の内容)を受けて、第二弾として、「本能・知識・道徳の進化」(主に『論文』第5章・第6章・第7章の内容)を取り上げ、その意義を確認すると同時に、現代の視点から考察することを目的とするものです。全国からオンデマンドを含めて約60名が参加しました。
 今回は、道徳科学研究所(道科研)の竹中信介研究員、小山高正客員教授、田島忠篤客員教授(発表順)が、それぞれが担当する章の内容について発表し、その後竹中研究員のコーディネートにより質疑・懇談を行いました。

 開会挨拶において道徳科学研究所の犬飼孝夫所長は、昨年度の内容の要点と意義を「おさらい」した上で、今回の発表者3名を発表テーマとともに紹介し、現代科学の視座から参加者とともに『道徳科学の論文』(以下『論文』)について考え、学びを深めていきたい、と述べました。

 各発表者のテーマと内容は以下の通りです。

竹中信介《研究員》 「廣池千九郎における「知徳一体」に関する研究」

 本報告では、まず「道徳」とは現在における自分の精神作用と、それに基づく行為の結果であるのに対して、「徳」とは先天的な素質と後天的に得られた知識や能力を含んだ卓越した能力を指すことを指摘しました。次に、廣池千九郎が諸聖人の教訓をもとに、知識と道徳は本来切り離せないものであり、真の知識は必ず道徳的行為として表現されると考えたことを確認しました。その例として挙げたのが、古代ギリシアのソクラテスの思想や日本の古代思想において示された「知徳一体」の表現です。洋の東西を問わず、「知徳一体」は普遍的なテーマであることが確認できました。
 さらに、現代の諸々の社会課題を考えるうえで、知識の道徳的な運用が重要であることを指摘し、廣池の格言「徳を尚ぶこと学知金権より大なり」が重要であることを述べました。最後に、「徳の継承と発展」という視座から、祖先から継承した徳を次世代に発展的に受け渡し、社会の道徳的進歩に寄与することが必要であると結論づけました​。

竹中信介 研究員

小山高正《客員教授》 「人間と動物の区別は程度の差か、または種類の差か―廣池千九郎はなぜ人間と動物を比較したのか―」

 人類階級の先天的・後天的原因を議論した第3章と4章を受けて、第6章では実際生活に現れた特徴と原因、さらに個人の運命やその種族の運命や原因を議論します。それらの原因は精神作用に帰着することになるのです。章の約半分の頁数が人類学的考察に割かれています。当時の人類学が人類の脳の発達を過大評価していたことやヘッケルの進化論的影響からは免れていないことに注意は必要ですが、脳の構造や機能、類人猿との比較についての記述は今の知見とそれほど齟齬はありません。文明史的考察では、文明の進歩は精神作用の蓄積という結論が重要で、未開から文明への進化論的捉え方は今では通用しません。犯罪学と骨相学については、廣池は紹介にとどめ、科学的にはさらなる検証が必要としているのは達見です。それよりも、廣池としては道徳心が容貌におよぼす影響により関心が強かったと思われます。
 表題の「人間と動物の区別は程度の差か、または種類の差か」について、6章の結論としては種類の差としています。しかし、そこには「その精神発達の相違は非常なもの」という前提があり、廣池が人間の精神作用の力がもつ可能性に意味を見いだしていたことがわかります。ということから、7冊目374頁で「人間と動物とは同一のものであるということは、つとに聖人も認めておること」と廣池が述べている意味は、高い精神力をもつ人間は進化可能な存在であって、最高道徳の実践が伴わない人間は動物の域に留まるということになるのではないでしょうか。さて、廣池が引用し注目したE・ヘッケルの個体発生系統発生反復説は後に批判を受けましたが、その議論は、今日の分子生物学、遺伝学の進歩を受けた進化発生学という全く新しい形で復活しています。廣池が、進化を系統発生だけでなく個体発生というもう一つの時間軸に関心をもっていたことと、それが今日の進化発生学につながってくることに奇縁を感じます。

小山高正 客員教授

田島忠篤 《客員教授》 「『社会』とは何か? ― 当時を代表する社会学者の視点から」

 『論文』第7章は、人間と社会の関わりを執筆当時の社会学、人類学、心理学などの研究成果を基に進化論的に説明しています。原始人は「自己保存の本能」によって生活していましたが、「知識」の発達により「道徳」が誕生し「社会心」が生れました。そして集団生活を営むようになり、「同類意識」を基にした「団体保存本能」による小社会が誕生し、「団体心」が育まれ、さらに「異質」なものを取り込みながら社会発展が進むと、「連帯の観念」が発達して民族国家が形成できるようになりました。このような社会発展の基となるのが本能に知識が加わった(普通)道徳であり、社会構成の本質は道徳であると廣池千九郎は結論づけています。
 本発表の目的は、廣池千九郎の社会観の特徴を『論文』執筆時の社会学者、A.コント、K.マルクス、M.ヴェーバー、E.デュルケーム、G.ジンメルらの社会観と比較して探りました。廣池はコントと同じく社会進化論的見方をする一方で、ヴェーバー流に個人の「社会的行為の動機」を問題としています。またデュルケームの、個人に還元できない「社会統合」も視野に入れながら、道徳の実践に関しては、ジンメルの「個々人間の心的な相互作用」をも対象に含めています。
 このように廣池は社会を多角的に総合的に捉えています。唯物史観的に決定づけられた「社会階級」は「搾取」によって生じており、革命により社会矛盾を解決するしかないという社会葛藤モデルに基づいています。しかし廣池は、社会階級を含めた人間の運命の形成には精神作用が大きく影響し、個々人の「道徳(実践)による社会の調和」が社会を発展させるという調和モデルに基づいており、廣池とマルクスの社会観は根本的に異なっています。

田島忠篤 客員教授

 その後の全体討論では、①今回の発表の視点が最高道徳の理解や実践とどのようなつながりがあるのか、また難しい内容が多く含まれる『論文』の基礎論を楽しく学ぶにはどのような視点が大切か、②現代の視点からどのような重要性があり、また課題があるのか、という2つの視点を中心に意見が交わされました。

 第一の点である「基礎論を楽しく学ぶ」について、発表者からは、基礎論に多く引用されている当時の研究成果を廣池千九郎が引用した意図や背景を考えることで『論文』執筆の意図が見えてきて(楽しくとまではいかないかもしれないが)味わいが深まるのではないか、廣池の社会を捉える視点が総合的でユニークなことに注目するとよい、国家の成立・存続が中心テーマだった時代に生きていた廣池が生きていたら現代のグローバリズムをどう考えるかと考えると興味深い、第5章のテーマである知徳一体について、知識と道徳を一体のものとして捉えるということはどういうことなのか、正義(知)と慈悲(徳)の調和の問題として考えるとよいのではないか、などの意見がありました。

 また第二の点である「現代の科学の視点から見た重要性や課題」については、明治期に日本に入ってきた進化論を「生物の環境への適応の問題」から「道徳の問題」として体系化し、発展を試みた廣池のユニークな視点を、現代において、優生学や人権・差別の問題を踏まえてどう展開していくかが重要な課題ではないか、進化思想を都合よく利用して恣意的に誘導することになりやすいので注意が必要である、町内会に外国人が加わることが多くなった現代のコミュニティで廣池が提示した「伝統(ortholinon)」の考え方をどのように調和的に適用すればよいか、「社会の基礎は道徳である」という視点で捉えると私たちが享受している社会からの恩恵を意識しやすいのではないか、社会に影響力を持つ人たちが、知徳一体を廣池がここで指摘したような意味で捉え、意識できるようになるかどうかが重要な課題ではないか、などの意見が出されました。

 昨年から続く2回のフォーラムでは、現代の学問の視点から廣池千九郎が『論文』を通して取り組もうとした課題を各章ごとに読み解き、現代の枠組みに置き換えて「道徳の科学的研究」の課題の本質を検討してきました。このことを通じて、『道徳科学の論文』を通して廣池千九郎が伝えようとしたメッセージが徐々に浮き彫りになってきているように感じます。
 そこには、自然科学の急速な発展や、ダーウィンをはじめとする進化という考え方が人間観に大きな変革をもたらした当時の時代状況や精神が表れていると同時に、その後大きく発展を遂げた自然科学をはじめとする学問によって今後取り組むべき課題、人類にとって当時と変わらぬ、あるいはより緊急のテーマが提示されているのではないかと思います。
 道科研としては、今後とも廣池千九郎が提示した問いや研究課題をより深く理解し、現代においてどう受け止め取り組んでいくかを考える研究会やフォーラムを企画していきたいと考えています。今後とも皆様に参加、提言をいただきながら進めていければと思います。
 今回のフォーラムの内容は、ブックレットとして出版する予定ですので、関心のある方はどう
ぞお買い求めください。昨年の第1回のブックレットも販売中です。
 次回のオンライン道徳科学研究フォーラム②は令和6年11月16日(土)に開催する予定です。

(文責:オンライン道徳科学研究フォーラム委員会・宗 中正)