はじめに
近年、私たちは遺伝子に関する疾病の発見、技術の開発など多くのニュースやトピックについて目にするようになった。そして、私たちの想像以上に、遺伝病が私たちの生活に与える影響は大きい可能性がわかってきている。例えば、アメリカ合衆国内の統計によれば、遺伝病による死亡原因は、1歳から4歳までの乳幼児では第2位であり、15歳から17歳の間では第3位である。また病院を訪れたことのある人の中で、18歳以上の成人では約13%の人々が、そして18歳以下では25−30%の人々が遺伝子に関連する疾患による通院であるとの統計がある(1)。さらに、病院等の施設に収容された精神遅滞患者のうち20%以上が、遺伝子に関連する疾患が原因であることがわかっている(2)。また、『ヒトのメンデル型遺伝−常染色体優性・常染色体劣性・X連鎖表現型のカタログ−』(Mendelian Inheritance in Man: Catalogs of Autosomal Dominant, Autosomal Recessive, and X-linked Phenotypes 12th edition) 最新版によると、8,587の疾患が、遺伝子や染色体の異常による疾患である(3)。
それら遺伝病を検査、診断する第一に用いられる方法として、遺伝子検査・スクリーニングがある(4)。ヒトゲノムプロジェクトの進展により疾患遺伝子が同定され、また技術革新により容易かつ安価に遺伝子検査が行われるようになりつつある。本稿では、この遺伝子検査についての現在を概観する。最初に、遺伝子検査の対象である遺伝病について述べ、次に遺伝子検査・スクリーニングについて、その定義、方法、ヒトゲノムプロジェクトとの関連、現在のアメリカ合衆国での状況、そして種類について述べる。最後に、遺伝子検査・スクリーニングに起因する倫理問題について考察する。
1 遺伝病
遺伝病、あるいは遺伝性疾患(genetic disease, hereditary disease)とは、染色体による異常と遺伝子の異常(単一遺伝子疾患、多因子疾患、体細胞遺伝疾患)による疾患の総称である(5)。ある世代から次世代へと伝達される遺伝情報プロセスは複雑で絡み合っており、遺伝病は、その複雑な伝達プロセス中に生じると考えられている(6)。
染色体あるいは遺伝子の変異による遺伝病は様々な形態がある。図1は染色体の構造異常の各種形態を示す。Aは2個の非相同染色体が切断され、切断部位を交換した形態(相互転座)、Bは染色体の先端部分が切れ消失した形態(端部欠失)、Cは環状になり、はみ出した部分は消失した形態(環状染色体)、Dは染色体の重複部分が染色体内にある形態(重複)、Eは単一腕内で染色体の一部が反転する形態(腕内逆位)、そしてFはそれぞれ短腕部、長腕部どうしで結合した形態(同腕染色体)である。これらの染色体異常の結果、遺伝病が生じる。
また遺伝子が原因による遺伝病は変異遺伝子に起因し、親から子どもへ受け継がれる時、あるいは後天的な環境ストレスに対する応答によって生じると考えられている。遺伝子の変異形態も染色体の変異形態と同様に、塩基配列の転座、欠失、重複、逆位などがある。
変異遺伝子の結果、生体には変成タンパク質や欠陥タンパク質が生産されるか、あるいはタンパク質が全く生産されないことがある(7)。そのタンパク質が生体にとって重要な時に疾病が生じる。つまり、疾病の重篤度は、生体中でのタンパク質の役割度に依存するのである。遺伝子の変異が遺伝病の主因であるが、変異の中には必ずしも疾患が生じない場合がある点は重要である。
本来、すべての人間には、有害な変異遺伝子があると考えられているが、変異遺伝子が個人に与える影響は、次に挙げるいくつかの要因が関わっている(8)。
図2は代表的な遺伝形式を示している。図を理解するために、染色体および遺伝子に関する主な概念について簡単に説明する。
染色体上の遺伝子の占める位置は座位(locus)と呼ばれる。特定の形質を支配する遺伝子がどの位置にあるのかは一定しており、体細胞内の染色体はすべて対をなし、遺伝子の座位もまた対になっている。この同一の座位を占める遺伝子は特に対立遺伝子(allele)と呼ばれ、それぞれ父親と母親に由来する。
この一つの座位に関する対立遺伝子としてAとaが存在するとすれば、この座位については AA、Aa、aa という3つの遺伝子型が考えられ、それぞれの遺伝子型に対応する形質の発現を表現型という(10)。この3種類のうち、AA と aa はそれぞれ等しい二つの対立遺伝子の組み合わせで、このような遺伝子型を持つ個体をホモ(同型)接合体と呼び、また遺伝子型 Aa の場合をヘテロ(異型)接合体と呼ぶ。
図2では、特定の座位を占める正常遺伝子を常染色体ではA、性染色体ではX、変異遺伝子を常染色体ではa、性染色体ではxで表わす。網かけは遺伝子疾患のある個体を表す。
1は常染色体性優性遺伝で、AA(ホモ)は正常であり、Aa(ヘテロ)が病気として表現される。常染色体性優性遺伝疾患の患者は、一つの変異遺伝子により影響され、変異遺伝子のある人は、当該遺伝子を50%の確率で子どもに遺伝することになる。2は常染色体性劣性遺伝で、外見上全く正常な両親(Aa)から25%の確率で遺伝子疾患患者になる。常染色体性劣性遺伝疾患の患者は、二つの同じ変異遺伝子を持つことにより発症する。当該変異遺伝子が一つの時には、正常遺伝子が優位であるので発症はしない。正常遺伝子と変異遺伝子を持つ人のことを保因者(carrier)と言う。3はX連鎖性遺伝であり、X連鎖性遺伝疾患の変異遺伝子は、X染色体から受け継がれる。多くのX連鎖性疾患は劣性遺伝であリ、X連鎖性遺伝子疾患は、普通は男子だけに発症する。なぜなら、男子はXとYの性染色体を持つが、父親からはY染色体が受け継がれるので、母親から遺伝したX染色体の変異遺伝子(x)を補うことができないからである。
さて単一遺伝子疾患、多遺伝子疾患、あるいは多因性遺伝子疾患は大変複雑であり、私たちを混乱させる原因の一つになっている。この点は、遺伝子検査・スクリーニングに関する多くの倫理問題を生じる原因として考えられるので、ここでは、第3カテゴリーの疾患の原因について補足説明する。
単一遺伝子疾患では、DNA(11) 配列の小さな変化が重篤な疾患に結びつくとされる。どちらかの親または両親から受け継いだ一つの変異遺伝子により、約4,000の疾患が生じていると考えられているが、これらの疾患はとても希な疾患であり、全疾患の約3%に過ぎないとされている(12)。
その中でもいくつかの単一遺伝子疾患は、ある特定の民族内での発症頻度が高いことが明らかになっている。例えば、単一遺伝子が同定されている遺伝病のうち、鎌形赤血球貧血症 (Sickle cell anemia)(13) はアフリカ系アメリカ人やヒスパニックでの発症率が高く、嚢胞性繊維症 (Cystic fibrosis)(14) はヨーロッパ系白色人種、テイ−サックス症 (Tay-Sachs disease)(15) はアシュケナージ系ユダヤ人での発症率が高いことがよく知られている。
多遺伝子疾患とは、一個以上の複数の変異遺伝子が関わり発症する遺伝子疾患である。多遺伝子疾患が複雑な理由は、複数の遺伝子が関連して発症する遺伝病であるが、疾患遺伝子の関係、つまり、どの遺伝子がどの程度疾患に関係するのかなどについて複雑であり、未だ不明な点が多いからである。
多因性遺伝子疾患とは、変異遺伝子が疾患の発症危険度を高めるが、実際の疾患の発症には、食餌、運動、喫煙、ストレスなどの環境要因など、遺伝子以外の外的要因に大きく影響される疾患のことである(16)。心臓疾患、肥満、高血圧、各種ガン、アルツハイマー病、精神分裂病、そう鬱病などは、多因性遺伝子疾患に含まれる。多因性遺伝子疾患が複雑な理由は、疾患の発症原因が遺伝子要因と環境要因であることに加え、変異した遺伝子が必ずしも常に疾患の発症に関係するとは限らないことである。つまり、変異遺伝子が発症に影響することもあれば、変異しているだけでほとんど影響が無いこともある。遺伝子要因と環境などの外的要因が疾病にどれほどの影響を及ぼすのかについて、また遺伝子要因の影響の有無については、未だ明らかでないのが現状である。
2 遺伝子検査・スクリーニング
(1) 定義と目的
遺伝子検査に関する米国国立衛生研究所/米国エネルギー省(NIH/DOE)の特別委員会は、遺伝子検査を次のように定義している。遺伝子検査とは、「臨床目的で、遺伝性疾患に関連する遺伝子型(genotype)、変異、表現型(phenotype)、核型を検査するために行う、ヒトDNA、RNA(17)、染色体、タンパク質、特定の代謝産物の分析」である(18)。
厳密には、遺伝子検査とは遺伝子検査と遺伝子スクリーニングに分類できる。遺伝子検査は、「個人に対して行われ、一つか複数の遺伝子特性の有無に関する診断手続き、あるいは決定」に使用される検査と定義される(19)。一方、遺伝子スクリーニングは、次に該当する遺伝子型を持つ集団を対象とした検査である。その集団とは、(1)既に疾患と関連しているか、あるいは疾患に対する素因があると判明している遺伝子型を有する人々、(2)疾患が子孫に遺伝する可能性がある遺伝子型を有する人々、または(3)疾患に関連するか否かは分からない変異(variation)をつくる遺伝子型を有する人々の集団である(20)。
遺伝子検査・スクリーニングは、予防レヴェルと、診断レヴェルで有用であると考えられている。予防レヴェルでは、特定疾患の原因となる遺伝子を発見し同定することにより、将来生じる可能性のある状況を予想することができ、また効果的な治療方法の選択に用いることもできると考えられている。正確な情報を提供する遺伝子検査は、私たちの健康と福祉、また食餌、運動パターン、生活環境などを含んだライフスタイルの改善に貢献し得る(21)。
診断レヴェルでは、特定遺伝子の同定により、早期段階で疾患関連傾向のある遺伝子に関する情報を提供することができるという利点がある。また現段階では発症の危険度が低いと考えられている病気についても、より早急な診断ができるようになる(22)。
(2) 方法
遺伝子検査・スクリーニングでは、変異した遺伝子配列を見つけ出すため、血液を含め、人体組織から採取された患者のDNAサンプルを精査する。検査対象の遺伝子によって様々な遺伝子検査方法があるが、ここでは現在最も幅広く用いられているポリメラーゼ連鎖反応(PCR:Polymerase Chain Reaction)を用いた遺伝子検査法について説明する。PCR は、DNA 試料から目的とする特定領域の DNA を数時間で数十万倍に増幅させる方法である。これはDNA ポリメラーゼ(酵素)が一本鎖 DNA を鋳型として相補鎖を作っていく性質を利用しており、現代の遺伝子工学を支える最も基本的かつ重要な技術の一つである。PCR によって増幅された DNA 試料を用い、例えば自動 DNA シークエンサーを使用し塩基配列を確認する方法などがよく用いられている(23)。
遺伝子検査・スクリーニングを行うためには、特定疾病に関連する遺伝子を見つけ出す必要があり、そのために研究者たちは、DNAの30億塩基対の中から遺伝子変異を探し出さなければならない。これは、ハンチントン舞踏病や嚢胞性繊維症の遺伝子を見つけるために、10年の歳月を要したことからも想像できるように、大変に複雑で困難な研究である(24)。しかし、ヒトゲノムプロジェクトにより次第に明らかにされてきた遺伝子地図と遺伝子配列は、当該遺伝子を探し出す作業にとって、大変に有意義な資源となっている。ヒトゲノムプロジェクトの最大の恩恵を享受するのは遺伝子検査である、と述べている科学者もあり、ヒトゲノムプロジェクトの進展により、今後遺伝子と疾患の関係の解明が進み、多くの遺伝子検査・スクリーニングが可能になるだろう(25)。
(3) 遺伝子検査・スクリーニングとヒトゲノムプロジェクト
ヒトゲノムプロジェクト(Human Genome Project)とは、米国国立衛生研究所と米国エネルギー省のゲノム研究について、国家科学アカデミーの学術研究評議会(National Research Council of the NationalAcademy of Science)と米議会技術評価局(Office of Technology Assessment)が計画を提案し、アメリカ議会が資金提供したプロジェクトで、1988年に開始された(26)。ヒトゲノムプロジェクトは、国立衛生研究所と米国エネルギー省、全米科学財団などの連邦機関と、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)医学研究所など民間機関の双方の支援の下で行われた。
当初は、15年間で30億ドルを費やし、ヒト遺伝子染色体地図の作成および遺伝子配列の決定を行い、2005年までに、当時は約10万個と見積もられていたヒト遺伝子と30億塩基対から構成される全長約2メートルのヒトDNA分子の解読を完了する計画であった(27)。
1992年4月まで米国国立衛生研究所のヒトゲノム研究センターのディレクターを努めたジェームス・ワトソン(James Watson)によれば、ヒトゲノムプロジェクトの目的とは、1全遺伝子の染色体地図の位置を同定すること、2全遺伝子配列を決定すること、3世界中の科学者にゲノム情報を提供すること、4ゲノム情報を適切に使用するために、倫理的な保護策を設けることだった(28)。
2000年6月26日にホワイトハウスでビル・クリントン(Bill Clinton)アメリカ合衆国大統領とトニー・ブレア(Tony Blair)イギリス首相は、国際ヒトゲノムプロジェクトとバイオベンチャーのセレラジェノミックス社が、ヒトゲノム配列の概要版(ラフドラフト)の作成を完了したと発表した。ヒトゲノム解析の主要な役割を果たした国際ヒトゲノムプロジェクトのフランシス・コリンズ(Francis Collins)(国立衛生研究所ヒトゲノム研究センター・ディレクター)とクレイグ・ヴェンター(Craig Venter)(セレラジェノミックス社最高経営責任者)も同席し、この歴史的瞬間を祝った(29)。高精度のヒトゲノム配列は、2003年までに完了される予定であり、これは当初の目標より2年も早い(30)。
コリンズは、ヒトゲノムプロジェクトを開始した当時、「ヒトゲノムプロジェクトは少なくとも次の100年間の研究計画を活性化する情報の宝庫である」と述べた(31)。ヒトゲノムプロジェクトは、中でも医科学分野に対する恩恵が最も大きいと考えられ、特定遺伝子配列の同定により、遺伝子と疾病の関係が解明され、複雑な疾病に関する研究の進展に大きく貢献すると期待された。また、遺伝子配列の決定は、特別な希少疾患だけでなく、例えば心臓血管疾患や各種ガンなどの一般的な疾患の易罹患性(かかりやすさ)と遺伝子の関係についての医学情報の提供も期待された(32)。
(4) 遺伝子検査・スクリーニングの現在
全米では、遺伝子疾患、染色体疾患、遺伝子疾患傾向性の遺伝子検査が、500以上の大学、研究機関などで行われている(33)。また遺伝子疾患や遺伝子の状態を調べる300以上の遺伝子検査が病院などの臨床医療機関で行われており、新たに325もの遺伝子疾患や遺伝子の状態を検出可能にする遺伝子検査の研究が進められている。下記の表は、1996年までにアメリカのニューヨーク州で承認された臨床遺伝子研究施設で利用できる遺伝子検査の一覧である(34)。
遺伝子検査を実施している研究機関に関する調査によれば、1994年から1996年までに行われた遺伝子検査数は、少なくとも年々30%ずつ増加しており、1994年には全米で97,518であった遺伝子検査総数が、1996年には175,314にまで増加した(35)。このように遺伝子検査が、臨床現場に広く浸透していることが分かる。
遺伝子検査リスト(1996年:アメリカ・ニューヨーク州)
| 検査対象疾患 | 検査名:疾患症状 |
| α1-アンチトリプシン欠乏症 | AAT:気腫、肝臓疾患 |
| 筋萎縮性側索硬化症 | ALS:ルーゲーリック病;進行性運動機能消失 |
| アルツハイマー病* | APOE:老人性痴呆症 |
| 毛細管拡張性失調症 | AT:筋制御の消失、ガンによる進行性脳疾患 |
| ゴーシェ病 | GD:肝脾の腫脹、骨格変性 |
| 遺伝性乳ガン、卵巣ガン* | BRCA 1 および 2:若年性胸腺、卵巣の腫瘍 |
| 遺伝性大腸ガン | CA:若年性の大腸あるいは他臓器の腫瘍 |
| シャルコー・マリー・トゥース病* | CMT:四肢末端の感覚麻痺 |
| (神経性進行性筋萎縮症) | |
| 先天性副腎皮質過形成 | CAH:ホルモン欠損;両義の性器、男性仮性半陰陽 |
| (胎生初期における生殖原基の発育不全により、外観上性別が不明となる状態) | |
| 嚢胞性繊維症 | CF:濃厚粘液分泌の蓄積と慢性感染の結果生じる肺と脾臓の疾患 |
| デュシューヌ筋ジストロフィー/ベッカー筋ジストロフィー | DMD:筋の消耗、萎縮、あるいは虚弱 |
| 筋緊張症 | DYT:筋の緊張、反復捻転運動 |
| ファンコニ貧血症(Cグループ) | FA:貧血、白血病、骨格変性 |
| ライデン第5因子 | FVL:出血疾患 |
| 脆弱性X症候群 | FRAX:遺伝性精神遅滞の主要原因 |
| 血友病A型およびB型 | HEMA および HEMB:出血性疾患 |
| ハンチントン舞踏病 | HD:中年期に発症;進行性、致死性、退行性の神経疾患 |
| 筋硬直症 | MD:進行性筋虚弱;最も多い成人筋変性の型 |
| 神経繊維腫症I型 | NF1:多発性良性神経システム腫瘍;ガン |
| フェニルケトン尿症 | PKU:酵素欠損による進行性精神遅滞;食餌療法可能 |
| 成人性多嚢胞腎疾患 | APKD:腎臓機能不全と肝臓疾患 |
| プラダー・ウィリ/アンゲルマン症候群 | PW/A:運動機能低下、精神遅滞、早死 |
| 鎌形赤血球貧血症 | SS:血液性疾患;慢性的な痛みと感染 |
| 脊髄小脳失調症I型 | SCA1:不随意性筋運動、反射疾患、爆発性言語 |
| 脊髄筋萎縮 | SMA:普通は、子どもの致死的進行性の筋消耗疾患 |
| 地中海貧血症 | THAL:貧血(赤血球細胞レベルの減少) |
| ティ−サックス症 | TS:胎児の神経性疾患;てんかん発作、麻痺 |
(5) 種類
遺伝子検査は、人生のどの時期に行われるかにより、次の四つに分類することができる。その時期とは、@出生前期、A新生児期、Bカップルが結婚や出産を考える時期、C時期は特定出来ないが、特定疾患の家族歴のある人で、自分の罹患可能性が高いことが判明した時、あるいはそのような家族歴はないが、将来罹患する可能性を予測する目的で受検する時である(36)。それらは各々@出生前診断、A新生児スクリーニング、B保因者スクリーニング、C発症前検査および予測的検査・スクリーニングと呼ばれている(37)。
@ 出生前診断
出生前期とは配偶子の受精から胎児の出生までの期間を指す。厳密には、出生前診断は、受精したがまだ子宮に着床していない段階での着床前診断と、着床後に行う胎児診断に分けることができる。
着床前診断では、体外受精によって作られた受精卵が4個から8個の割球になった時、1個あるいは複数個の割球を取り出し、遺伝子検査を行う。また、胎児診断には、一般の人々を対象にしたスクリーニングと、スクリーニングの結果、危険性が疑われたときに行われる確定診断がある。例えば最初に、超音波やトリプルマーカー検査により、胎児のスクリーニングが行われる。トリプルマーカー検査では、母親の血液を検査することにより、ダウン症、二分脊椎や部分無脳症の異常確率が診断できる。この検査の結果、疾病になる確率が高い時に、確定診断として羊水穿刺、絨毛膜絨毛標本採取などの方法でさらに検査する。羊水穿刺は、妊婦の前腹壁および、子宮壁から穿刺針を絨毛膜と羊膜を貫通させ、羊膜腔へ刺し、羊水を搾取し検査する方法である。検査を行うのに安全な羊水量が確保される妊娠15週から16週目に行うのが通常とされる。また絨毛膜絨毛標本採取は、超音波で確認しながら、母親の腹壁および子宮腔へ針を挿入し絨毛膜絨毛を採取する方法であり、妊娠第7週以前に行われる。確定診断は、先天性代謝異常、X染色体関連の疾患を診断するために行われる。
出生前診断の目的は、(1)障害のある子どもを出産する可能性が高い女性やカップルに、広範囲の情報提供を行った上での選択肢を提供すること(インフォームド・チョイス)、(2)出産に関する不安レベルを再確認することにより、出産に関する不安を減少させること、(3)カップルに、人工妊娠中絶によって障害のある子どもの出産を回避できることを知らせること、そして(4)障害の可能性のある胎児に対し、初期診断により最善の治療を保証することである(38)。
歴史的には、1967年にヤコブソン(C. B. Jacobson)とバーター(R. H. Barter)が、羊水穿刺により、胎児の細胞から遺伝病を診断することを報告した(39)。この発表後の2年間は、染色体疾患に関する出生前診断の報告が医学雑誌に相次いでなされた(40)。それ以降、出生前期間に遺伝子異常や染色体異常を検出するいくつかの診断方法が開発され(41)、現在合衆国では胎児の神経管欠損やダウン症の危険度を検査する目的で、毎年約250万人の妊婦が出生前診断を行っている(42)。
1994年までに、胎児診断は、重篤な精神遅滞や致死疾患(例えば、テイ−サックス症)から、日常生活に影響を及ぼし寿命を縮めるが重大な精神障害は起こさない疾病(例えば、嚢胞性繊維症)まで、何百という遺伝子検査が可能になった(43)。
またこれらの胎児診断に加え、新たな種類の出生前診断である着床前診断も行われはじめた(44)。これは子宮に着床する前の胚を検査する方法により、胚の初期発達段階での、デュシェーヌ型筋ジストロフィー、嚢胞性繊維症、血友病、脆弱性X染色体症候群、ダウン症候群などの診断が可能になった(45)。2000年6月までに全世界でおよそ1,500ほどの染色体分析による着床前遺伝子検査が行われ、妊娠まで至ったケースは約400例ある(46)。しかし遺伝性疾患に関して胚を用いる検査方法の成功報告例は限られており、着床前診断は世界中でも少数の機関に限定された未だ初期段階の診断技術とされている(47)。
A 新生児スクリーニング
新生児スクリーニングは、新生児の特定遺伝病の有無を検査するのに用いられる。合衆国では、州主導の公衆衛生政策の一環として行われている。初期段階で遺伝病が発見されれば、早期治療が可能であり、また予防効果も期待できると考えられている。
最初に新生児スクリーニングの対象となった遺伝性疾患は、フェニルケトン尿症 (Phenylketonuria)(48) であった。1963年にマサチュセッツ州で、合衆国で初めて法律により新生児にフェニルケトン尿症のスクリーニングを義務づけた(49)。それ以来、この新生児スクリーニングのプログラムは、1990年までに合衆国の全州とワシントンDCで行われるようになった(50)。
次の表は、ヒラー(Hiller)らによって行われた、新生児スクリーニングの各州での実施状況の調査をまとめたものである(51)。
アメリカ合衆国の新生児スクリーニング(全州+ワシントンDC)
| 対象疾患名 | 法律で 明記 | 規則で 明記 | 達成 目標 | 法律での 達成目標 | 法律に加え られる予定 | 合計 |
| ビオチニダーゼ欠損症 | 4 | 5 | 19 | |||
| 先天性副腎皮質過形成 | 2 | 9 | 16 | |||
| 先天性甲状腺機能低下症 | 24 | 20 | 51 | |||
| 先天性トキソプラズマ症 | 1 | 2 | ||||
| 嚢胞性繊維症 | 1 | 1 | 4 | |||
| ガラクトース血症 | 18 | 19 | 2 | 48 | ||
| 異常ヘモグロビン症* | 18 | 12 | 7 | 2 | 44 | |
| ホモシスチン尿症 | 9 | 4 | 16 | |||
| メイプルシロップ尿症 | 10 | 6 | 24 | |||
| フェニルケトン尿症 | 36 | 11 | 51 | |||
| チロシン血症 | 1 | 2 |
表の数字は、法律や規則などによってスクリーニングの実施の義務付けを行っている州の数を表わしている。調査によると、現在では合衆国のすべての新生児はフェニルケトン尿症と甲状腺機能低下症について検査されており、鎌形赤血球貧血症、地中海貧血症などの異常ヘモグロビン症、ガラクトース血症、ホモシスチン尿症、そしてメイプルシロップ尿症などのスクリーニングが、多くの州で行われている。合衆国の多くの新生児スクリーニングプログラムは義務づけられており、ほとんどの新生児が対象となり、毎年400万人の新生児が受検していることになる。
B 保因者スクリーニング
保因者スクリーニングは、常染色体性劣性遺伝病の変異遺伝子の有無を調べるために行われる。このスクリーニングは、結婚をしたり子どもを持つ時のカップルに利用されることが多い。常染色体性劣性遺伝病の変異遺伝子の保因者は、本人の疾患の発症はないが、50%の確率でその変異遺伝子を子どもに遺伝することになる。もし保因者のパートナーが、本人と同じ遺伝病の保因者であるならば、彼らの子どもは、25%の確率で劣性遺伝病に罹り発症する(図2参照)。
合衆国での最も初期の保因者スクリーニングプログラムは、アフリカ系アメリカ人の間で罹患率の高い鎌形赤血球貧血症と、アシュケナージ系ユダヤ人に発症率の高いテイ−サックス症に対して実施された(52)。
1970年代に、鎌形赤血球貧血症のスクリーニングプログラムが、アフリカ系アメリカ人の間で盛んに行われたが、このプログラムは必ずしも成功しなかった。その原因の一つは、当時は出生前検査が技術的に未成熟であるためだった。そのために、スクリーニングで当該遺伝子の保因者であることが判明した人は、同じ変異遺伝子の保因者でない人を選択して結婚するか、あるいは遺伝病を持つ子どもが生まれてくる可能性のあることを承知で出産するかの困難な選択を迫られることになった。また、もう一つの原因として考えられるのが、保因者への差別問題であった。鎌形赤血球貧血症の遺伝子が、どれほど健康に危害を及ぼすのか不明確であるにも関わらず、雇用者や学校などが保因者の雇用や入学を制限し、排除する可能性があったため、このような差別を回避するために、検査を受けないことが最善の策だった(53)。
逆に、アシュケナージ系ユダヤ人の間で多く発症するテイ−サックス症のスクリーニングプログラムは、成功例とされている。このテイ−サックス症のスクリーニングプログラムは、ユダヤ人コミュニティによって自発的に始められた(54)。スクリーニングに参加し、自分が保因者であるか否かを知り、保因者である場合は、保因者間での結婚を避け、疾患のある子どもを産まないようにした。その結果、アシュケナージ系ユダヤ人の中のテイ−サックス症は90%も減少した。
最近では、嚢胞性繊維症の原因となる多様な遺伝子の変異が同定されるにつれ、ヨーロッパ系白人家系の人々の間で嚢胞性繊維症スクリーニング実施の是非についての議論が高まっている(55)。議論の焦点は、嚢胞性繊維症スクリーニングの有効性である。実際に嚢胞性繊維症患者の85%以上は当該疾患の家族歴に関係なく出生するので、嚢胞性繊維症保因者スクリーニング検査の結果が必ずしも当疾患の危険性を減少させることに結びつかず、嚢胞性繊維症患者になる危険性を完全に排除できないのである。したがって嚢胞性繊維症の保因者スクリーニングが疾患回避に有効な方法であるのかについては疑問が出ている。
C 発症前検査/予測的検査・スクリーニング
第四番目の遺伝子検査は、発症前検査、あるいは予測的検査・スクリーニングである(56)。発症前検査とは、疾患の家族歴はあるが、現在は何の兆候もない人が、遺伝子変異の有無を調べる検査である。ハンチントン舞踏病、若年性アルツハイマー病、血色素症(ヘモクロマトーシス)、多嚢胞性腎臓病、家族性高コレステロール血症などの希少な単一遺伝子疾患の検査は発症前検査に入る。予測的検査は、特定疾患の家族歴の有無に関わらず、現在健康である人が、将来疾患に罹る可能性を調べる検査であり、心臓病、肥満、ガンなど比較的罹る可能性が高い一般疾患や、慢性疾患などの疾病に対する易罹患性の検査がこの検査に入る(57)。
一般疾患の遺伝子の構成内容が明らかになるにつれ、特定の人々やグループを対象にしたスクリーニングが診断方法の一つの選択肢となってきた。これらの検査は、1980年代後半から1990年代前半に登場した比較的新しい種類の検査である。前項までの3種類の遺伝子検査は、次世代に当該遺伝子が受け継がれるか否かに焦点を当てた検査であるが、発症前検査や予測的検査は、自分の将来の健康に焦点を当てた検査である。
発症前遺伝子検査の例として、ハンチントン舞踏病(Huntington's disease)の遺伝子検査が代表的である。ハンチントン舞踏病は、よく知られている単一遺伝子疾患の一つである。第4番染色体短腕のテロメア付近にあるハンチントン舞踏病の遺伝子を所有する人は、一般的に35歳から45歳までに発症し、次第に手足および顔の筋肉の運動機能や知能低下が顕著になり、通常発病から20年以内に死亡するとされている。2001年現在も当疾患の効果的な治療方法はないが、1993年にハンチントン舞踏病の遺伝子が同定され、遺伝子検査が可能になった(58)。
また、ガンの易罹患性についての予測的遺伝子検査は、特定ガン遺伝子が同定されるに従い、急速に発展している。乳ガン、卵巣ガン、直腸ガンを含む、成人悪性腫瘍の遺伝傾向に関連した遺伝子が、次々と発見されてきた(59)。当該疾患の家族歴のある人が、疾患の予測目的で遺伝子検査を行う疾患の一つの例が、乳ガンである。
乳ガンは、日本人女性に比較してアメリカ人女性の発症率が高く、アメリカ人女性の8人に1人の割合で罹る危険性があるといわれている。1994年に、乳ガン関連遺伝子である BRCA1 が同定された(60)。約5%の乳ガン患者には、BRCA1 遺伝子の変異コピーがあり、その変異コピーは第17番染色体のある一部が変わったものであることが分かっている(61)。乳ガン家系のデータによると、BRCA1 座に位置する、変異 BRCA1 対立遺伝子を受け継いだ人は、50歳前に乳ガンを発症する危険度は50%であり、70歳までにはその危険度は80%以上に増加する。また第二の乳ガン遺伝子と考えられている BRCA2 は、ヒト染色体13q1−13の位置に同定された(62)。
乳ガン遺伝子検査による利点はいくつかあり、その中の一つは乳ガン予防に役立つことである。乳ガンにはハンチントン舞踏病とは異なり、早期発見により、ガン手術を含め病気の発症を減少させる手段がある(63)。そして、患者は今まで以上にガン予防のために生活習慣を含め行動に留意するようになるかもしれない(64)。また、他の利点としては遺伝子検査を行うことにより、乳ガン遺伝子の有無に関わらず予防のために行われていた、乳房切除などの不必要な身体への侵襲を回避できることである。遺伝子検査の結果、乳ガン遺伝子の変異が無いことが分かれば、身体への侵襲を防ぐことが可能になる。
3 遺伝子検査・スクリーニングに関する倫理問題
最後に、遺伝子検査・スクリーニングより起因する倫理問題について考察する。遺伝子検査の倫理問題について、多くの専門家が様々な角度から論じているが、これら倫理問題の中心的議論は、一般的に次の四つに分類することができる。1守秘・プライヴァシーの問題、2遺伝子検査への強制的参加とインフォームドコンセントの問題、3医療資源としての遺伝子検査へのアクセスや配分の問題、4選択的人工妊娠中絶や優生思想への傾斜という問題である。
(1) 検査結果の守秘・プライヴァシー
第一番目の問題は守秘やプライヴァシーに関してである。遺伝子検査・スクリーニングの結果得られる遺伝子情報は個人の情報であるが、その一方で、家族や親戚の遺伝子情報をも共有しているため、家族を含めた血縁者にとっての情報でもある。そのために、「遺伝子検査の結果は、誰のものなのか」が問題になる。前項でも述べたが、遺伝子検査・スクリーニングの種類により、その結果は現在の健康情報だけでなく将来の健康情報を明らかにすることになる。この種の情報は、雇用者、学校、そして健康保険や生命保険会社など第三者にとっても有用な情報となりうる可能性が出てくる(65)。
「遺伝子情報は誰のものか」という問題は、誰が遺伝子情報にアクセス可能かという問題と密接に関係している。この問題を考える時には、二つの文脈、すなわち、家族を含めた血縁関係での文脈と、ビジネスでの文脈に分けて考える必要がある。
血縁関係の文脈では、検査の結果、自分の遺伝子の状況を知った個人やカップルが、影響が及ぶと予想される両親、きょうだい、子ども、親戚に、自分の検査結果である遺伝子情報を伝えるか否かの決定に直面するであろう。中年以降に発病するといわれるハンチントン舞踏病の場合、リロィ・ウォルターズ(LeRoy Walters)は、誰にも出生時の遺伝子状態に対する原因責任はないため、ほとんどの人々はきょうだいに対して自ら進んで警告しないであろうと述べている(66)。しかしながら、自分の遺伝子情報は守秘すべき情報であるとしても、結果として他の誰かに重篤な危害を及ぼす可能性がある場合、その人はどのように行動すべきであろうか。血縁者たちに危害を及ぼす可能性があるが、自分のプライヴァシーを優先し遺伝子検査の結果を開示しないだろうか。あるいは、守秘、またはプライヴァシーよりも他者への危害の回避に重きを置き、遺伝子検査の結果を開示するだろうか。また、もし被検者が検査結果の開示を拒否した場合に、医療従事者はどのように行動すべきなのだろうか。被検者に対する守秘義務を優先すべきなのか。それとも、家族に危険性を知らせるべきなのか。
この問題に対する一つの例として示されているのが、医学および生物科学・行動科学研究における倫理問題研究に関するアメリカ大統領委員会が提出した報告書「遺伝形態についてのスクリーニングとカウンセリング−遺伝子スクリーニング、カウンセリング、教育プログラムに関する倫理的・社会的・法的問題の報告」(Screening and Counseling for Genetic Conditions: A Report on the Ethical, Social, and Legal Implications of Genetic Screening, Counseling, and Education Programs)である。この報告書の中には、検査結果が陽性の場合に変異遺伝子を有していることが疑われている者に対して守秘義務が破棄され、開示が認められる条件として次の四つが示されている。@被検者から開示の承諾を得るために相当の努力が尽くされたが成功しなかった場合、A情報が開示されなければ不利益が発生すること、そして開示される情報が不利益の回避に役立つことの双方において高い可能性がある場合、B特定の個人が受ける不利益が重大なものである場合、C当該病気の診断・治療に必要な遺伝子情報だけが開示されるように適切な措置が講じられる場合としている(67)。
ビジネスの文脈では、雇用者や各種保険会社などの第三者は、個人の健康情報である遺伝子情報を獲得したいと考えている。なぜならば遺伝子検査の結果、被雇用者(あるいは採用予定者)の罹患率や死亡の危険性が高いことが判明した場合に、雇用者は採用することや、あるいは雇用のための訓練に投資することを考え直す可能性がある。また健康保険会社は、遺伝子情報に基づき、より高い保険掛け金を請求したり、保険加入を拒否することも考えられる。雇用者や保険会社が、コスト削減に関心を持つのはある意味では当然のことであるが、これら第三者が、遺伝子情報を獲得することで、それに基づく偏見や差別が起こる危険性が高く(68)、結果的に、遺伝子検査の結果を提供した当事者は、雇用の機会や、医療機関へのアクセスの機会を失う可能なり性が出てくるかもしれない(69)。実際に鎌形赤血球貧血症のスクリーニングの例に見られるように、遺伝子の保因者というだけで、病人、あるいは潜在的に病気を持っている人としてレッテルが貼られ、保険や雇用機会が不当に奪われた例が過去にある(70)。
(2) 強制的プラグラムとインフォームドコンセント
遺伝子検査・スクリーニングは、「自発的」意思によって行われるものと、「強制的」に行われるものがある。出生前診断と多くの保因者スクリーニングは自発的に行われるが、合衆国ではほとんどの新生児スクリーニングは、強制的に行われている。合衆国の新生児スクリーニングは、州ごとのプログラムとして出産後2、3日以内にすべての新生児から血液を採取するように計画されている(71)。また、企業の採用予定者、健康保険加入予定者や保険加入者を対象にした予測的遺伝子検査もまた、強制的な遺伝子検査プログラムといえるであろう(72)。ここでは、新生児スクリーニングプログラムを例にとり、強制的プログラムとインフォームドコンセントの問題について考えてみる。
強制的なプログラムである新生児スクリーニングが正当化されるのは、主に次の理由においてである。それはスクリーニングプログラムが行われる過程において、新生児に与える侵襲が最少限の血液採取であり、この方法により、重篤かつ回避可能な危害から新生児を守ることが可能だからである(73)。例えば、ルース・フェイデン(Ruth Faden)らは強制的なフェニルケトン尿症のスクリーニングにより、血液検査という最少限のリスクで適切な治療を可能にし、新生児は遺伝病による苦痛を免れるという利益が得られるため、強制的なスクリーニングプログラムは正当化できると述べている(74)。
多くの強制的スクリーニングプログラムは、両親との間で利益・不利益に関する議論を行わず、また書面によるインフォームドコンセントも取らずに日常的に行われている(75)。合衆国ではメリーランドとワイオミングの二州のみが、新生児の両親から書面でインフォームドコンセントの提出を義務づけている。
特にメリーランド州は、両親へのインフォームドコンセントを義務づけ、自発的スクリーニングへの転換を試みた(76)。メリーランド州の新生児に対する強制的でないフェニルケトン尿症スクリーニングプログラムの調査によると、両親がスクリーニングを拒否する確率は、0.05%と極めて低いことが分かった(77)。この結果より、ジョージ・アナス(George Annas)は、新生児の親に対してスクリーニングの趣旨が適切に説明され理解を得られれば高確率で同意が得られる。つまり適切なインフォームドコンセントが行われさえすれば、スクリーニングを拒否することは少なく、自発的スクリーニングであっても強制的スクリーニングと同様に効果的なプログラムになると述べている(78)。加えてアナスは、特定集団を対象とするスクリーニングプログラムであっても、インフォームドコンセントのプロセスが必要であることを強調している。
医療倫理原理の一つである「自律尊重原理」に基づくインフォームドコンセントは、この30年間で合衆国の医療現場での必要不可欠なルールとなった。インフォームドコンセントの規則により、自分の健康に関するすべての決定を行う際、患者である私たち自身が主要な役割を担う必要があり、自由意志で医療における選択をするべきとする考えは、社会全体に大きく影響し浸透しつつある。しかしながら、強制的スクリーニングは、被検者の自由意志による医療への参加の決定を侵害する恐れがある。アメリカ大統領生命倫理委員会(US President's Commission on Bioethics)は、遺伝子スクリーニングの基本的価値は、個人が自分の健康に関する情報を得る機会と、またその情報に基づく自律的かつ非強制的選択を行う機会を増やすことであるとしている(79)。遺伝子スクリーニングに関しても、自律志向的アプローチ(autonomy-oriented approach)が必要不可欠であることを指摘している。しかしながら、自律志向的アプローチが、強制的スクリーニングプログラムをどのように奨励するという具体的な提案をするまでには至っていない。
(3) 遺伝子検査へのアクセスと配分問題
遺伝子検査・スクリーニングに関する「公平性」の問題は、次に挙げる二つの問題に集約できるだろう。第一は、遺伝子検査を利用する側の、遺伝子検査・スクリーニングへのアクセスに関する問題、第二は、遺伝子検査・スクリーニングを提供する側の、医療資源としての遺伝子検査の配分に関する問題である。これら「公平性」に関する問題は、あらゆる種類の遺伝子検査・スクリーニングに生じるであろう。
第一番目の遺伝子検査へのアクセスに関する問題については、遺伝子検査の費用が高価かつ希少な検査であるならば、健康保険などの医療システムにより遺伝子検査へのアクセスが制限されることが考えられる。そのような場合には、遺伝子検査は経済的に受検可能な人に限定された医療技術になるであろう。限界のある医療資源に対し、いつでも、そして誰でもアクセスすることは不可能であるが、経済的な要因のみでアクセスの可否が決定されるとすれば、それは公正の原理に反することになるのではないだろうか。
今後さらに遺伝子と疾患の関係が解明されることが予想され、医療における遺伝子検査・スクリーニングの重要性が一層大きくなるであろう。その遺伝子検査・スクリーニングへのアクセスの可否が、人の健康と福祉を決定することもあり得る。医療資源へのアクセスに関する問題は、遺伝子検査・スクリーニングに限定された問題ではないが、誰がどの医療にアクセスできるのかという問題を考える時、その医療の人の生活への影響が大きくなればなるほど、経済的要因のみによる遺伝子検査・スクリーニングへのアクセスの可否の決定は、大きな倫理的問題として考えておかなくてはならない。誰がどの医療資源へのアクセスを保証するのか、あるいは制限するのかは、医療制度を考える上でも重要な課題である。
また第二番目の医療資源の配分に関する問題も、第一番目の問題と関連し、どのような医療資源も際限なく提供できるわけではない。遺伝子検査・スクリーニングも有限な医療資源であり、誰にどれだけの遺伝子検査を配分するのかは、重大な問題になってくるであろう。この時に重要なのは、誰が、誰に対してどの遺伝子検査・スクリーニングを提供するのかということである。患者の必要性を理解している医療従事者なのか。それとも、患者の医療費を支出する保険機関なのか。
新しい医療技術が登場する時、費用が高価で希少な資源であることから、常に以上のようなアクセスと配分の「公平性」の問題が倫理問題の一つとしてあげられる。
(4) 選択的人工妊娠中絶および優生思想
最後にあげる倫理問題は、遺伝子検査・スクリーニングが選択的人工妊娠中絶、そして優生思想に結びつく可能性についてである。この倫理問題は、出生前診断と保因者スクリーニングで生じると考えられる。
マーク・エヴァンス(Mark I. Evans)らは、『バイオエシックス百科事典』改訂版(Encyclopedia of Bioethics revised edition)の中で、「出生前診断を提供すること、胎児の異常を記録すること、そして人工妊娠中絶を行うか否かに関して決定することの間には、何の関連もないということが、遺伝学に関する基本的見解となっている」と述べている(80)。
しかしながら、出生前診断や保因者スクリーニングは、人工妊娠中絶と深く関わりのある検査といえるだろう。出生前診断の主な目的は、生まれてくる胎児の健康に関する情報を出生前に獲得することである。そして、出生前診断により、障害のある胎児の生まれる可能性の高いことが分かった時、親はどのような選択を迫られるのだろうか。そのまま危険性を知った上で出産するか、あるいは妊娠を終わらせるか、二つの選択肢が考えられる。最終的に出産するという結論に達したとしても、その決断を行う過程において、おそらく妊娠中絶についても考えるであろう。出生前診断の目的が胎児の健康を知ることであるので、診断することは、障害のある子どもの人工妊娠中絶についても考えることを含んだ行為であると指摘することができる。
本来の目的であるか否かに関わらず、障害をもつ可能性のある子どもの出産を制限する出世前診断技術は、健康な子どもが欲しいという願望を助長し、健康な子どもだけしか産まないという、優生思想につながる危険性を孕んでいる。この指摘は、主として障害者団体を中心としたグループにより示されるが、一方で健康な子どもを持ちたいという願いを誰が制限できるのだろうかという困難な問題もある(81)。
また保因者スクリーニングを行う場合、特定疾患に対する危険性の高い集団を対象としたほうが、一般市民を対象とするよりも、効果的に疾患保因者を検出できるように考えられる(82)。このような考えの下、前述した1970年代にアメリカで行われた鎌形赤血球貧血症のスクリーニングは、他の民族よりも発症率の高いアフリカ系アメリカ人を対象にして計画された。この結果、通常は発症する可能性の無い保因者に対し、貧血症を有しているという偏見を生み出し、航空会社や軍隊、消防などの職場で解雇される例が続出した(83)。そのためアフリカ系アメリカ人のコミュニティーの中では、このプログラムを、形を変えた優生思想であると考えるようになった(84)。特定民族に発症偏向のある疾患を標的にしたスクリーニングは、人種差別を生み出し、また政府当局などの権威の規制下におくことは、特定民族の排除を試みたナチスドイツの優生思想に通じることになると主張したのである。過去の歴史から見ても分かるように、特定民族集団を対象にした規制は、種族差別思想や優生思想と結びつく危険性を孕んでいる。
むすび
現代医療は、確実に遺伝子中心の医療に移行している。疾患と遺伝子の関係解明が進むにつれて、今後わが国においても遺伝子検査・スクリーニングの需要が増大することは間違いない。
遺伝子検査・スクリーニングは、生まれてからはもちろんのこと、生まれる以前から私たちや私たちの子孫の生命・健康に関する情報を提供する医療技術である。遺伝子検査・スクリーニングが対象とする遺伝病には、大きく分けて染色体異常と遺伝子自体の変異による疾患がある。変異遺伝子の私たちの健康に及ぼす影響は、疾患の遺伝様式、浸透度、あるいは疾患原因など様々な要因が絡み合うために、私たちの理解を困難にさせている。また、遺伝子検査・スクリーニングには様々な種類があり、多様な疾患に有効な検査方法であり、疾患の予防及び診断に重要な手法である。しかし、遺伝子検査・スクリーニングは様々な倫理的問題を孕んだ医療技術であることを述べてきた。
本稿ではアメリカ合衆国の現状及び事例を中心に述べた。その理由は、合衆国が生命科学、その中でも特に遺伝子技術の医療での研究及び臨床が進んでいること、そして、遺伝子検査・スクリーニングが社会に対しどのような影響を与えるかの問題について、早くから国家を挙げての取り組みがあり、議論の蓄積があるためである。わが国は、遺伝子検査・スクリーニング技術に関する研究については、必ずしも合衆国に見劣りすることはないと考えられるが、その技術が社会にどのような影響を及ぼすのか、また社会がどのように対応すべきかについては、必ずしも豊富な議論の蓄積があるとはいえない。そこで、合衆国の議論を参考にすることは、今後わが国でも起こりうる倫理的問題を含む問題の解決の手掛かりになると考えた。
最後に、私たちが、新たな医療技術に関する倫理問題を考える意義について述べる。それは、次の二点に集約されると考えられる。
第一に、私たち患者が医療に積極的に参加するためである。従来は、新しい医療検査技術が開発され、医療者から提供されるままに利用してきた。しかし、医療の主役は患者であるとの観点からすれば、患者が診断プロセス及び治療プロセスの中で積極的に関わり、意思決定することが重要である。私たちが医療に積極的に関わるために、そして医療における主要な役割を果たすためにはどのような姿勢が大切なのか。それは、先端医療技術からどのような恩恵を享受するのかを十分に理解し、またその技術は倫理的問題を含めどのような危害を及ぼすのか、あるいは及ぼす可能性があるのかを熟考する姿勢であろう。このような姿勢が、遺伝子検査・スクリーニングに参加する場合にも必要であり、その結果、遺伝子検査・スクリーニングの利用に対し責任を負うことにもなる。このような態度が医療者任せの医療を脱する手がかりにもなろう。
第二に、新しい医療技術に関する倫理問題を考える意義は、その技術が私たち人間の健康福祉にどのように貢献するかを見極めるためである。倫理問題を考えることは、ある技術の利用に対し規制を設けることと考えられる傾向がある。しかし、倫理問題を考えることの本質は、規制を設けることだけではなく、その技術をどのように利用すれば私たちの福祉を最大限に豊かにすることができるかということでもある。
倫理問題を考えることが私たちの医療に対する積極的態度につながること、そして私たちの健康福祉に貢献することをしっかりと認識する必要がある。
※本稿は、米国ドゥルー大学大学院に提出した修士論文の一部を、加筆修正したものである。修士論文の作成にあたりご指導頂いたドゥルー大学 Donald Jones 教授、ならびに本稿執筆の際、草稿を精読していただき、貴重なコメントを頂戴した立木教夫麗澤大学教授、モラロジー研究所道徳科学研究センター生命環境室室長に深謝します。
遺伝子検査および遺伝子に関する倫理的問題を扱った日本語の参考文献