1.はじめに
廣池千九郎博士は人間の道徳性と発達を進化論的にとらえようと努力した(『論文@』第3章、7章)。そこで昨年は、「人類はいかにして道徳性を獲得したのであろうか」を「人類以前に道徳性は存在したのであろうか(動物にも道徳性は認められるか)」という問に置き換えて議論をした。道徳性の発達は悲しみや喜びといった感情の共有(共感)とかかわりが深い。そこで今年は、「感情はどうして生まれたか」という視点から道徳性の進化論を考察する。
2.伝統的心理学は感情をさけてきた
[問題は]一般的な科学者や動物学者、意識や感情などの心の領域には触れず、物理的にとらえることのできる行動のみを研究対象とする行動主義者、そして動物の行動に「意味」や「認識力」を見いだそうとする動物行動学者たちがみな、「擬人主義の罪」で非難されることを恐れている点にある。(マッソン&マッカシー, 1996, p. 14)
また、動物、人間を問わず、心理学では伝統的に「知能」の測度から「感情」もしくは「情動」の項目を排除してきた。知能は少なくとも合理的知性をもとに測定されなくてはならないし、理性の一側面を反映するものでなくてはならないと思われていたからである。
3.動物にも共感する能力があるか
動物の救助行動は人間の同情と同じ役割をもっており、個体間の結びつきが強い種しかない。クジラの救助行動(注1)に見られるように、愛着と絆が救助行動の根本なら、親の子育てこそその源といえるかもしれない。
すべての思いやりの行動を支える要素に、相互の愛着があるだろう。イルカやゾウやイヌ、それにほとんどの霊長類が、仲間の痛みや苦境に反応する(注2、3)。感情を移入するときの必要な能力で、愛着の次に基本的なものが共感(empathy)または感情の伝染?他人の感情に触発されて、自分の感情をも喚起すること−である。
他者を思いやる能力は相手を選び、こわれやすいものだが、それでも私たち人間の道徳システムの基盤になっている。過去の哲学者、心理学者、生物学者は、人間の精神を快楽という枠に押しこめようとしてきた。しかし共感だけは、この枠にうまくはまってくれない。配慮の能力を守り育て、範囲を拡大させて、奨励する必要のない他の人間の特徴とうまくバランスをとること。それが道徳性の、大きな役割のひとつなのかもしれない。(ドゥ・ヴァール, 1998)
4.感情はヒトや動物にとって有利に働くのか、不利に働くのか
感情がもたらす行動すべてに、生存価(生物の生存、繁殖を助けるような行動学的、生物学的特性)があるわけではない。愛情深い動物は、おそらくより多くの子孫を残す−その場合には愛は生存の助けとなるわけだが、同じ愛ゆえに体の不自由な子どもや生きのびる力のない仲間を気遣ったり、自らのいのちを危険にさらして、その死を嘆き悲しむ場合もある。よその赤ん坊を養子にして、自分の遺伝子を残さず終わってしまう場合もあるかもしれない。こうした行動は、みずからの適応度を高めるどころか、たぶん逆に低めていることになる。ひょっとしたら動物たちはただ感情に従い行動しているのであって、生存に有利か否かだけが重要なのではないかもしれない。とはいえ、愛にはやはり生存価があり、最終的には子孫をより多く残すことにつながる。ふつうならば適応性を高めるための行動が、生存に不利でも見られるような場合には、狭い意味での適応性よりもっと重要な感情がその行動を支配している、ということなのかもしれない。(マッソン&マッカシー, 1996, p. 40)
進化心理学的な立場から、感情にも心的なはたらきがあることが指摘されるようになった。以下、リドレーやジョンストンの著書を中心にそれを見ていくことにしよう。
5.ずるをして他人をだます行為を監視するシステム
互恵的利他主義(注4)は、知的に発達し、高度に統合された社会をもつ種で進化した。ヒトの場合には互恵の時間的間隔が長いので、ずるをして他人をだますことが起こり得る。そのため罪悪感、正義心、道徳的攻撃性、感謝、共感などの感情は、この互恵的利他主義を実行するために要求されるようになった(Crawford, 1999, p. 13)。つぎに具体的例を見てみよう。
今、アシュレイはたくさん資源をもっており、ジャスティンは困っているとしよう。さて、もしもアシュレイがジャスティンを助けてあげるときの損失が小さく、ジャスティンが受ける恩恵が大きく、状況が逆転したときにジャスティンがアシュレイに恩返しをするならば、このような互恵的利他行動を通じて、両者がともに繁殖成功度を上げることができる。生涯を通じて互恵的利他行動、または「公正な」行動をとる個体は、実際に生存率が高く、先に述べたような無差別的な利他者とは異なり、生存率が高く、その遺伝子を将来の世代に受け継がせる確率も高くなるだろう。(ジョンストン, 2001, pp .128-129)
しかし、もらうだけもらってお返しをしないのも、そういう裏切り者にとっては適応的な戦略である。互恵的利他行動が双方にとって生き残れるようなメカニズムであるためには、それを注意深くモニターしなければならない。なぜなら、それは両者にとって危険に満ちているからだ。罪の意識(恩恵に対してお返しをし損なったとき)や怒り(お返しが得られなかったとき)などの感情は、そのようなやり取りをモニターしていると思われる有力な候補である。このような感情により、個体がそのような社会的交渉に実際にかかわっているときの潜在的な繁殖成功度の大きさを実際にその結果が現れてくるより前に予測することができる。(ジョンストン, 2001, p. 129)
6.合理的愚か者になることを防ぐためのデザイン
アリもハツカネズミも利己的な遺伝子の物質的利益のために、私欲を捨てて奉仕しているのである。同様に、合理性ではなく感情に人生を支配させている人間も、そのときには犠牲を払っているように見えても、長期的に見れば自己利益になるような選択をしているのである。私がここで感情(emotion)という言葉を「情動(affect)」の意味では使ってはいないことに注意していただきたい。ヒステリーや偏執症の人々の行動は不合理に見えるが、彼らは情動の虜になっているのであって、特定の感情によって行動しているのではないのである。フランクは(そしてそれ以前にはアダム・スミスが)道徳感情を感情(emotion)と呼んでいるが、感情は、高度に社会的な生物にとっての、問題解決機構なのである。彼らは自分たちの長期的利益のために効率的に社会的関係を利用できるようにこれをデザインしたのである。感情は、短期的な私利の追求と長期的な思慮分別のどちらを優先させるか迷ったときには、後者に軍配をあげるのである。(リドレー, 2000, p. 187)
合理主義者どうしの場合、ぜったいに約束を守ると断言しても相手に信じてはもらえないし、問題を解決することもできないだろう。しかし、われわれは普通、そういう問題を理屈で解決しようとはしないで、感情に操られる不合理な約束によって解決しようとするのである。恥辱や罪の意識を恐れるため、企業家は人をだますようなことはしないし、パートナーを信用する。自分と同じくパートナーも恥辱や罪の意識を嫌う崇高な人物であると考えるからだ。牛を飼う農夫は、隣人が怒っていること、そして意地を張りすぎれば、隣人は損を承知で訴訟を起こすに違いないことをわかっているから囲いをつくるのである。このようにして感情は約束の報酬を変化させ、合理的計算からは割り出すことのできない将来の損失を現在の状況にあてはめるのである。怒りは人に違反を思いとどまらせ、罪の意識は裏切り者に心の痛みを感じさせる。ねたみは私欲の表現であり、軽蔑を恐れて人は崇高なおこないをする。恥辱は人を罰し、人に同情するものは、人からも同情される。(リドレー, 2000, pp. 189-190)
純粋な善行はわれわれが道徳感情を持っているために支払わねばならない代償であるということである。道徳感情は、まわりに知れ渡る可能性があるからこそ価値があるのである。…二度と訪れることのないレストランでウェイターにチップを与えたり、無記名で寄付をしたり、ルワンダに飛んで難民キャンプの病気の孤児たちを風呂に入れたりすることは、長い目で見ても利己的な行動ではなく、合理的ともいえない。その人は単に別の目的−のためにデザインされた感情によって動かされているのである。…一般に、人は献血してきたことを隠そうとはしない。献血もルワンダでの奉仕活動も、高潔な人物という評判を高める。そうなると、囚人のジレンマ(注5)のような状況では信頼してもらいやすくなるのである。彼らは「私は利他的な人間です。信用できますよ!」と声高に宣伝しているのである。(リドレー, 2000, pp. 193-194)
7.おわりに
これまでの議論によって、筆者がいままで抱いていたいくつかの問題に解決のヒントを与えてくれる。
第一の問題は、なぜ人間は表情(感情の表出)という記号系を文化を超えて共有しているのだろうか。たとえば、エックマンは、われわれの表情認知様式が文化の違いに関係なく、普遍的であるか否かを調べている。彼の結果によれば、「幸福」「嫌悪」「驚き」など6つの表情は、アメリカ、日本、チリ、アルゼンチン、プラジルの5カ国の人びとの間で、高い一致率が得られた。それは何よりも、相手の意図を表情に読みとるということが社会的に必要であったために、その能力が進化してきたと考えられるであろう。
昨年(平成13年)の1月26日夜、JR新大久保駅の山手線内回りホームで、二人の青年が線路に落ちた男性を助けようとして電車にはねられ亡くなった。彼らの行動をどう受け止めたらよいのか。滝 久雄は、著書『貢献する気持ち−ホモ・コントリビューエンス』のなかで、人間には犠牲になる本能がそなわっている、ヒトはホモ・コントリビューエンスであると定義している。そうすると、自己を犠牲にした二人の行動は、ヒトの進化に組み込まれた「犠牲心」に突き動かされ、逆らうことなくその行動を選択してしまったのではないだろうか。合理的、理性的心からは理解できない行動であるにもかかわらず、実にたくさんの人々から同情と賞賛を集めたのは、社会的に望まれる行動であることを示している。
『徳の起源』の著者リドレーは、功利主義をもっぱら追求する社会は進化を遂げることがないと考え、次のような結論を残している。「人間の本性を新たに『遺伝子功利主義』的に理解することによって、過ちを避けるためのいくつかのシンプルな教訓が導き出せる。人間は、公益を高めようとする本能と、自己利益を高め反社会的行動に走ろうとする本能をあわせ持つ。われわれは前者の本能を奨励し、後者の本能を抑えるように社会をデザインしなければならないのである。」(リドレー, 2000, pp. 349-350)
以上の道徳性進化の議論から、廣池千九郎博士が『論文』で指摘しているように、道徳心の起源が多分に利己的な心にあることは否めない。ただそこには、進んで他人の犠牲になる「愛」の心の原初的姿が現れていることも事実であろう(たとえ動物であったとしても)。社会を維持する上では、基本的には利己的道徳(利己的心に根ざした道徳心)は最低限必要で、「愛」の心に基づく道徳をいかに育てるかは、社会形態、社会情勢によって柔軟に対応していく必要があることになる。
最後に、動物にもヒト同様の感情があることを認めることは、われわれが日常生活を送っていく上で大きな問題を投げかけることになるであろう。祖先の時代から動物を狩り、植物を採集しながら暮らしてきたヒトが、生命倫理の観点からどのように周囲の生命とつきあっていけばよいのであろうか。昔の漁師や猟師は、自然から命をいただいて暮らしているという生き方をしてきた。そこには自然への畏怖と敬意を常に感じながら暮らす姿を感じる。他者の犠牲の上に成り立つ生活であることを自覚することがますます求められていくように思われる。
8.要約
動物、人間を問わず、心理学では伝統的に「知能」の測度に「感情」もしくは「情動」の項目は排除されてきた。知能は少なくとも合理的知性をもとに測定されなくてはならないし、理性の一側面を反映するものでなくてはならないと思われていたからである。しかし、人間の情動表出の認知は文化を超えて高い一致率を示し、なぜこのような認知システムが人類行動に組み込まれてきたのかわからないできた。
近年、進化心理学が盛んになり、感情にも淘汰を受けるだけの行動的価値のある心的機能であることが指摘されるようになった。リドレー(『徳の起源−他人をおもいやる遺伝子』(古川奈々子 訳、岸由二 監修)翔泳社)は、目先の自己利益を貪る愚かな合理主義を補償するものとして、ジョンストン(『ヒトはなぜ感じるのか』(長谷川真理子 訳)日経BP社)は互恵的利他行動が崩れないように監視する役割をもつものとして、それぞれ感情が淘汰されてきたといっている。脳へくるいかなる感覚入力も、感情の中枢である大脳辺縁系をとおり、何らかの相互作用が生じているいることを考えると、感情が人間の行動・思考を常に評価しているであろうことは十分考えられる。
感情が理性に比べて低い心的機能であると考えがちなわれわれに反省する視点を与えてくれる。同時に、道徳性の発達を考える上で、感情が大切な要素であることを認識させられる。さらに、感情がヒトの進化に重要な意味があることはもちろんのことだが、動物にも十分認めることのできる心的機能であることを考えると、生命倫理の視点からも注目に値する問題である。
9.引用・参考文献
アクセルロッド、R. 1984 『つきあい方の科学:バクテリアから国際関係まで』HBJ出版局(Axelrod, R.The Evolution of Cooperation. Basic Books, 1984.)
バートン, M.1985『動物に愛はあるか−おもいやりの行動学−』(垂水雄二 訳)早川書房(Burton, M. Just like an Animal. J. M. Dent & Sons Ltd., London, 1978.)
バーン、R. 1998. 『考えるサル:知能の進化論』大月書店(Byrne, R. The Thinking Ape: Evolutionary origins of intelligence. Oxford University Press,1995.)
Crawford, C. 1999. The Theory of evolution in the study of human behaior: An introduction and overview, Handbook of Evolutionary Psychology, Chapter 1; pp.1-49.
ジョンストン, V・S.2001『ヒトはなぜ感じるのか』(長谷川真理子 訳)日経BP社(Jonston, V. S. Why we feel: the Science of human emotions. Perseus Books Publishing, New York, 1999.)
Krebs, Dennis L. 1999. The Evolution of Moral Behavior, Handbook of Evolutionary Psychology, Chapter 11 ; pp.337-368.
小山高正 2001 「社会的知能の進化」『社会性の比較発達心理学』(岡野恒也 監修)所収, pp. 65-78.
マッソン, J・M, マッカシー, S.1996『ゾウがすすり泣くとき−動物たちの豊かな感情世界』(小梨直 訳)河出書房新社(Masson, J. M. and McCarthy, S. When Elephants Weep: the Emotional lives of animals. Deracort Press, 1995.)
リドレー, M.2000『徳の起源−他人をおもいやる遺伝子』(古川奈々子 訳、岸由二 監修)翔泳社(Ridley, M. The Origines of Virtue. Felicity Bryan, Oxford, 1996.)
滝 久雄.2001『貢献する気持ち−ホモ・コントリビューエンス』紀伊国屋書店.
ドゥ・ヴァール、F. 1998. 『利己的なサル、他人を思いやるサル:モラルはなぜ生まれたのか』草思社(de Waal, Frans. Good Natured: The origins of right and wrong in humans and other animals, Harvard University Press, 1996.)
【注】
(1)[二つ目のエピソードは]一隻の船がやっきになってイルカを狩っているときに起こったものである。ダイナマイトが用いられ、その爆発で一頭が気絶した。これに対して別の二頭が両側から寄りそって支えてあげた。この行為が明白な意図をもってなされたものであるということは、支えるイルカのやりかたに示されている。つまり、息を吸うために離れなくてはならなくなると、そのあと大きな弧を描いて泳ぎもどり、引きつづき支えたのである。(もどってきたのが同じペアーかそれとも別のペアーかは、観察者には確認できなかった)。数分後気絶していたイルカが回復すると、近くにとどまっていた群れ全体は、10〜12秒間隔で一斉に水面から高さ3〜4メートル、幅にして7〜9メートルをジャンプしながら猛スピードで泳ぎ去った。/[四つ目の観察は]多数のバンドウイルカがとらえられたときのものである。一頭ずつ引き上げられて船の生簀に入れたれたが、その中の一頭が海から持ち上げられたときにあばれ、後頭部を柱にぶつけ、深さ二メートルある生簀の底に沈んだ。すでに生け簀の中にいたイルカのうちの二頭が両側からよりそって、このイルカを水面まで持ち上げて息をさせ、その間、三番目のイルカがまわりをぐるぐる回った。救助にあたったイルカは、息を吸うために定期的に離れなければならなかったが、すぐにもどってきて、仲間が回復するまでこれをつづけた。(バートン, 1985, pp. 63)
(2)ある観察者が出くわしたアフリカゾウの群れでは、メンバーがとりまく中央でメスのリーダーが死を迎えつつあった。彼女がふらつき、倒れると、ほかのゾウたちは周囲をとりかこんで懸命に立たせようとした。若い雄は牙でその体を支え、口に食べ物を押しこみ、交尾の姿勢までとろうとしたが、すべて無駄だった。ほかのゾウたちは牙で彼女を撫でた。子ゾウの一頭はひざまずき、乳を吸おうとした。やがてみんなあきらめて歩きだしたが、一組の母子だけがあとに残った。母ゾウは死んだリーダーに尻を向けて立ち、片足を後ろにのばしてときおりその体をさわっている。群れのほかのメンバーに呼ばれてから、ようやく彼女もゆっくりと歩きだした。/シンシア・モスは仲間が死んだときの、あるゾウの群の行動を次のように描いている。残ったゾウたちは「沈みこんだ様子で、倒れたゾウの周囲を何度かまわり、それでも動く気配がないとわかると、みな不安げに足をとめる。そして顔をそむけるようにして立ち、鼻をだらりと地面にたらす。それからまたとぼとぼと歩きまわることもあるが、しばらくするとふたたびそっぽを向いて立ちどまる」、そして最後には−おそらく仲間の死を確信したのだろう−「近くの木立や茂みから枝や草のかたまりをひきちぎってきて、死骸にかぶせたり、周囲に置くことがある」という。(マッソン&マッカシー, 1996, pp. 149-150)
(3)はじめて手話言語の訓練を受けた有名なチンパンジー、ウォッショーは、研究所内に人工的につくられた島、「チンプ島」に一時暮らしていたことがあった。彼女が七歳か八歳のとき、研究所に着いたばかりのチンパンジーがこの島に連れてこられた。そしてパニック状態に陥り、電気柵を飛びこえて、派手に水しぶきをあげながら外濠に落ちてしまった。研究者のロジャー・フーツはすぐ現場に駆けつけ、飛びこんで助けようとした(チンパンジーの方が人間よりはるかに力が強いことを考えると、危険な行為である)。と、そのとき、走りだして柵を飛びこえるウォッショーの姿が見えた。ウォッショーは外側の狭い土手に降りると、少しずつ泥の浅瀬に足を踏みだしながら片手で草をつかみ、もう一方の手でぶじそのチンパンジーを引きあげた。/ウォッショーの行動に驚いたかとたずねられ、フーツは戸惑った末にこう答えている−「あとで、利他的行動などありえないという理論が持ちだされ、人がみなそういうようになってからは、ええ。でもそれ以前は・・・」。ここで彼は一気に語りはじめた。「いいですか、私だって同じことをやろうとしたんですよ。私だって、そのチンパンジーのことはよく知らなかったけれども、現場へ向かってズボンのポケットから財布を出し、飛びこもうとした。でもウォッショーに先を越されてしまった。だから、何に反応したかは同じだと思うんですよ−困っているのを見て、助けようとした」(マッソン&マッカシー, 1996, pp. 245-246)
(4)互恵的利他主義(reciprocal altruism)
生物個体は遺伝子レベルでみるとすべて利己的な行動をしていることになる。しかし、実際には連合にもみられるように非血縁間で助けたり、助けられたりする行動がある。たとえば、ヒヒのペアのオスのうち一方が、ジェスチャーで他方の協力を要請する。するとペアの一頭が交尾中の最高位のオスを威嚇する。最高位のオスは防衛のために応酬するが、そのすきにもう一方のオスがメスと交尾をする。
このような行動は、あとで見返りがあると期待されるためにあえて犠牲になっていると考えられる。このような行動を互恵的利他主義と呼ぶ。トリバースは互恵的利他主義の特徴として次の3つをあげている。@やりとりされる行為が、受け手には利益になるが、実行者には犠牲を伴う。A代償と見返りの間にタイムラグがある。B見返りを条件に犠牲を払う
互恵的な行動でも、第3者を介して見返りが期待できる場合がある。つまり、AはBに借りがあるが、BはCに借りがあるので、AはCに借りを返すことによってBへの借りを返済する。このような互恵主義を間接的互恵システムという。(小山, 2001, pp. 68-69)
(5)囚人のジレンマ(prisoner’s dilemma)
実験ゲーム研究の領域で,最もよく注目され研究されてきた二人関係である。例えば、2人の囚人が脱獄を計画したときに、2人で協同して考えればある程度の利益を得るが、相手を裏切り密告して自分の罪を軽くするすればさらに利益が上がることになる。しかし、相手にも裏切られる可能性もあるし、2人ともに裏切れば全く利益がなくなってしまうことになる。囚人のジレンマでは,個人は,協同を選ぶべきか,裏切りを選ぶべきか,のジレンマに置かれることになる。
アクセルロッドは、囚人のジレンマを用いてコンピュータ内で様々なプログラムを対戦させた。その結果、裏切り続ける利己的なプログラムよりも、まず相手に協調し、裏切られない限り裏切らないという「しっぺい返し(tit for tat)」戦略が強いことがわかった。